今頃、「負け犬の遠吠え」を読む。

酒井順子「負け犬の遠吠え」をやっと読み終える。以前ぱらぱらと立ち読みだけしていつものように
「ふーん」で終わらせた本をなんで今頃読んだかと言うと実は大分前、「オタク女子研究」と言う本を読んで、
なんでそんなにネット上で嫌われているのかわからず、とある有名ブロガーさんの
「負け犬の遠吠えを意識し過ぎて志が低い!(相当意訳)」と書いてあるのに、ほう、となんか納得したんで
改めて読んでみた。で、感想。いつもながら酒井さんの書くものはうまくできた「企画モノ」。
頭の中だけで作り上げたものと私は思う。多少の事実も含めてあるにしろ常に考えているのは
書きたい事より「ウケ」てくれる読み手、「誰がそれを読んで喜ぶか」、この本を読んで喜ぶのは
少なくとも女性ではない。酒井さんが媚びまくってる「男性」だ。それもあまり「知性」的とは言いがたい方々。
なんでかって?当然その手の男性のほうが数が多いからに決まってるじゃないですか。
こんなわかりやすいステレオタイプの女性像を「女性」が書いて嬉しいのは男性だけですな、
「やっぱり女はおれたちより馬鹿だしな」みたいな、優越感に浸れますもんねえ。お安い優越感とは思いますが。
だから酒井さんは徹底的に男性が嫌いな「タイプ」をこれでもかこれでもかと攻撃する。女性が女性を攻撃する、
これって多少は「痛い」事なんですが、多分酒井さんの胸はいたんでないと思います、
だってその「女性像」は屈折したコンプレックスを女性にもつ男性だけの「イメージ」だもの。
実際にはいない妄想上の女を攻撃してみたところで、どうと言う事もない。
私は少なくとも独身女性に「結婚したら」とか「子供もてば」なんて言うような既婚女性の知り合いはいません、
酒井さんにもいないと思います。女の世界は男が描く程「ステレオ」ではないのですよ。
それを酒井さんも十分御存じのはずです。でも食ってくためにはやらねばね、
それは私にもよく理解出来ます。金はやっぱりもったもんの勝ちです。
で、私がいつも酒井さんに対して思うのはこの人を嫌いになってあげればいいのになあ、という事です。
この人の書く事の無個性ぶりはすごいです。なんだかこれは「酒井順子」と言う「個人」が書いてる事ではなく、
酒井順子「工房」作品ではないか、と思うほどです。身を削って書いてる中村うさぎさんとは違います。
酒井順子さんの場合、「読み捨て」であとになんにも残りませんが中村うさぎさんは何かしら必ず残してくれます。
これって「作家」として大きな差ですよね。好きにも嫌いにもならない「作家」に何か「価値」ってありましたっけ。
でも実は酒井さんの自分の無個性ぶりへの悲鳴は随所で見かけられます。強烈な「嫉妬」がない限り
なかなか向田邦子を不倫相手の子供二人を焼き殺した犯罪者と並べて書く事はできませんよ、
向田さんは天才でしたからね。どれほどがんばってみても酒井順子さんが向田さんになる事はありません。
それを知ってるからの「暴挙」でしょうね、恐ろしい「絶望」です。無理であっても渇望して止まない。
自分と向田邦子を同列に思う、その恐るべきプライド!そこが面白かったかな、「負け犬の遠吠え」。
酒井順子さんを読むのも悪くないって気がしてきました。(「オタク女子研究」までいかなかったんで明日に続く。)