「普通の結婚」、、?

このあいだ30そこそこのヴェリィ奥様とランチして、20代前半で結婚して出産したその奥様曰く、
大学時代の東京のお友達が今頃になって結婚したいって言い出して驚いたそうだ。
「普通の人と結婚したいだけなのにとか、もう普通の人なんかいないし、なんて言うんです」
「どういうのが普通かって聞くとね、私から見れば全然普通じゃないんですよ」って、
うーん、その普通ぶりをあまりよく聞いてなかったんだけど確かに普通と理想を混同していたような気が、、
「男の人って、やっぱり女の人と違うでしょう、うちの主人だって相当変わってると思いますよ、話したら
「信じられない」とかいわれるもの」「普通、って言うのが一番難しいじゃないですか、本当に結婚する気なんか
あるんでしょうか」と、私に聞かれても私のお友達ではないからなあ、、その後えんえんと
「普通」と言う概念について数人で熱く語り合ったが結論は「男とは皆普通ではない」に落ち着いた。
故に「普通」を求める限り女は結婚できない、と、いやはやそれが正しいかどうか私に突っ込まないで下さいよ、
「普通」概念の普遍性なんかわかんないんですから。
皆の話を聞いていて「普通に見られたい自分」が全てに優先するのか?と思いついた。「普通じゃない自分」を
見て欲しい人もいるがそれより遥かに多く「ごく普通の自分」と思って欲しい人がいるんじゃないか、と
「常識」とか「フツー」とか、ネット内でもとびかう言葉の中に「見られたい自分」が見えかくれしている、
「普通」と言う言葉で自己主張する、「普通」と言う言葉で自身の押し付けがましさを隠そうとする、
日本人ははしみじみ姑息なもんだ、海外の人間はこういう形で「普通」と言う言葉は使わないんじゃないかな、
「個性化」どうのと言ってみたところでなんかいびつな形でその「個性」をあらわしてるような、
目立ちたくはないけど、「自分」は認めてもらいたい、「普通」にって、ああ、難しいわ、やっぱり「普通」。
このあいだ酒井順子の「少子」を読んで感じたのはあくまでこの方は「見られる自分」を何ごとにおいても
優先するのだな、と言うこと、「髪振り乱して密室で幼児と向き合う姿」だの
「出産経験を声高に恥じらいもなく話す姿」だの、ドモ、スビバセンな既婚者、育児者の情けない事実を
突き付けられていや、でもそれ、あんたに見せたくってやってるわけじゃありませんし、見逃してくれよ−、
と思ったんだが、そんなみっともない姿を自分は出来ないとおっしゃるのはともかくとして、
例えば万が一間違ってそれをやったとして、やはりその冷たい視線を自分自身に投げかけるんですかね、
それじゃあ、人間やッとれんじゃないんですか。
出産なんかいわばウンチするようなもんだと前々からいわれてることだし、それに連なる諸々のことは
他人様はたとえ見ても見てみぬふりするのが礼儀じゃありませんかね、そういや大昔中国の田舎にはトイレがなくて
つい立てもなんにもないただの「穴」にしろと言われて、「だれもそんなところを見たりしないから」と、
言われたらぽん、と納得した(その人がそこでトイレしたかどうか聞いてませんが)話を聞いたが
人がトイレをしているとこをしげしげ眺めてるなみに育児する姿を冷ややかに見る人は悪趣味じゃないですかね、
なーんて、ちょっと言い返す。おっしゃる通り、出産も育児もかっこいいことじゃないと思います、
でもかっこいい自分をあくまでも追求したいほど私は自分をかっこいいとは思わないんで、いいんじゃないですかね、
格好わるく出産しても育児しても。人に見せるために生きてるわけじゃないですよ、私は私の人生、
私がしたいように快適なように生きてるんですよ、他人の目にそれがどんなに痛くうつろうと、
見られる自分より私はあるべき自分を優先したいですな、「普通」と思われなくっても、
自分が満足すればいいんじゃないか、結婚生活、見せびらかすためにやるわけじゃないでしょうに、
って「普通」に私は思いました。
「普通」に見られたいから「普通」の人を探すって思っていいのかな、ヴェリィ奥様のお友達の話、
大昔から日本人は「人目を気にする」人種だと言われてたけど今もあんまり変わってないのかもなあ、、
「普通の結婚」が「普通」なのかな?