「上等な私立」VS「下等な世間」?(おしまい)

さて、長々こんな他人からお借りした楽しいタイトルで遊んで申し訳ないと今さらながら思っております。
価値観の相違は埋めがたく、「上等な私立を出れば下等な世間とつきあう可能性は低くなる」
と信じられる可憐な方と同じ学校に子供を通わせたくない、と心のそこから願う「下等な世間」の住人なもので
かなり粘着です。もちろん、私立にはそんな変わった事を言う方ばかりではありません、
私も私立に子供を通わせるお友達がたくさんおります。親戚はみんなそうですし(都内ですが)、
格別「上等な私立の知り合い」を増やす必要など感じないのです。また私の実家はビンボ臭いので
確かに身内の子供は私立に通わせておりますが、間違いなく地元の国立大にはいれよ(=東大)、
旧帝大以外は大学と思うな、が教育のコンセプトなのでそのための費用は惜しまないにしろ、
子供にかけるプレッシャーは相当なものです。もちろんそれを受け止めながら道を歩む強さを
子供に教えているのだと思いますので、私が地元の公立校で様々な子供にもまれて育つ事を望むのと
それほど違いはありません。私は自分自身を信じるように自分の子共、また子供を取り囲む人間を信じているので
きっとなんとかなると思っております。なんともならなかったらまたその時に考えればいいんです。
命さえあれば人生は続きます、そしてその人生を他人に「上流」とか「下流」とか決められたくはありません、
自分の人生の勝ち負けなんて大事なものをなんで他人に決めさせるんですか?自信なんてもったもんの勝ちだし、
勝ちなんて思ったもんの「価値」です。死ぬ間際になっても間違ってたなんて絶対思わないように
負け惜しみは人生が終わる時までとっておきます。また、それを子供にももって欲しいと思います。
子供がこの先どうなるか、そりゃあ私だって本当は自信がありません、私立に殺到する同じく自信のない方の気持ちは
痛い程よくわかります。でもだからといって、その手の方がなんでか「公立」や「世間」に向ける敵意を
支持しようとは思いません。望んでるものが違うのがわからない人と話したって無駄ですし。
私は本当に「上等」な人間とはたとえ「上等」じゃないところに行っても「上等」に振る舞えるものだと
知っておりますが、私立を「上等」と信じる無邪気な方が果たして「上等」な私立で「上等」に振る舞えているか
疑問に思います。ましてや、このような方は「下等」な世間と見なしたところでは
なおのこと「下等」にお振る舞いです。ところが元々「下等」な世間の住人がごく当たり前の事として
遥かに「上等」に振る舞われるのを私は見ています。子供にどちらを望むかおわかりでしょうか。
実はスパルタなのでより難しい事を子供に望んでいます。決して「上等」とは言えない世間で
それでも「上等」な人間になって欲しいと思います。私立で心優しく育てられた方とは違う「上等」も、
また「上等」であると、決してひけをとるものではないと、私は考えております。
とかいいながら、私はブログで「喧嘩上等」的な事を書いてるんであてには出来ませんね。
結局私は「下等な世間」と言うものが嫌いではないのです。「上流」の狭い世界ばかり目指す人から離れて、
広大な「下流」社会でやってくのも私は楽しいと思います。様々な御意見はおありでしょうが
それだって一つの考え方です。豊かな生活ももっている知識も子供の学歴さえも見せびらかすためにある、
といわんばかりの価値観を社会の底辺から拒否したい、
それは「下等な世間」の人間のひそやかな「プライド」と思います。