祝!町山さんコメント欄復活。

と、大変遅れたネタを出す私はやはり遅れた「専業主婦」、、
なんにしてもう1度やってみようとする町山さんの姿勢はえらい、
そしてディキシーチップスにことよせたエントリが胸を打つ、
そうです、私もハテナ上の論争がおかしくてなりませんでした、明らかに「壊れっぷり満点」な方の書かれた事に
正当性が一分でもあるかのようにいわゆる「アルファブロガー」っていうんですか?
そこそこ人を集めるブロガーが一斉に町山さんの「表現方法」について叩きにかかった事を。
私はこのネットの闇を愛するものではあるけれど自分の名前を晒してブログを発信する人に対しては
たとえ意見が違っていてもある程度の評価をしている。逃げようもない自分を出しているんだもの、
少々のことは大目に見るべきだと考えてもいる。名前を晒すという勇気ある行為の正当性は
それほど大きなものだ。それを利用して自分のネット上の売名行為をはかる「クズ」はその意見がどうであろうと、
評価するべきではない、が個人的意見だ。まあ私が世間知らずなんでfinalventなどの本名を
知らないだけかもしらんが、書いとけや、有名人なら、自分の名前、プロフィール、その上で堂々と
「お前の表現方法は間違ってるー!」と叫べ、「お前は間違わんのか−!」って叫び返してやる、
ま、町山さんのあの例えが間違ってるとは私はこれっぽっちも思ってませんがね。
なんにしてもあのブログ主ははっきり町山さんの相手になるほどの人間ではなかった、どころか、
あの人は本当に実在人物なのか?私はいまだにそれが信じられん、自分がさもいわゆる「ギョーカイ(古い?)」に
存在するもののように振舞いながら、自分が書いたものへの誇りが一片だに感じられない、
大ヒットをとばしたあのはじめのエントリを消してるんだもの、あれじゃ一体何が起こったのかさっぱりわからん、
消すんならコメント欄も消すべきなのにそれはしていない、心が冷えきる恐るべき悪意だ。
こんな根性の人間の書く事を支持した事を誇れるか?アルファブロガー達、
いまいましい町山さんを叩くためならそんな事すら許せるか、それがあんた達の日本人としての誇りか、
ブログ界で人を集められるものとしての矜持か、それなら私は人なんか集めなくていい、
日本人でなくたっていい、書く力なんてなくっていい、ただ「恥」だけは知っていたい。
私はどんなに叩かれても自分のエントリを見られなくはしない、それがネットを利用する自分の責任だと思うから。
私の個人的プロフィールがもし暴露されたら住んでる世界があまりに狭いので全エントリを消去するだろうが
その時はコメント欄だって閉める事になる。それが喧嘩両成敗的な一つの解決方法だろう、
実生活はあくまでも大事だ。
町山さんの場合は住んでるところも仕事も調べればいくらでも出てくる。お子さんだっている、
そういうネタでもし脅されたらどれほどの屈辱と哀しみを感じる事だろう、出自だって隠してはいない、
モノを「書く」そしてその言説に「責任」をもつ、その姿勢は見事だ。できるのか?それが。
出来ないからネットの闇でブログ名を使って書くんじゃないか、コソコソと。
コソコソってのを忘れるな、ブログ名を使う限り卑怯モノなんだよ、私らは。
そういう人間はあくまでコソコソ悪口をいいあってればいいんだよ、リンクはったりしちゃいけない、
トラックバックだって役にたたないのはしちゃいけない、コメント欄だって汚すべきじゃない、
反対のためだけの意見ならば。
頑張れ、町山さん、あなたはアルファブロガーである以上に立派な文筆家だ。
たとえ又コメント欄が閉められても、ハテナをやめても私は読むのをやめない。
それだけ信用に値する人間は少ないのだ。世の中が悪いのか、生活が重いのか、わからないけれど。
件の方のブログは御丁寧に荒れたコメント欄の内容だけは残してかんじんの自分のエントリは
次々と巧妙に書き直している。稀に見る馬鹿。すごすぎる。
これを支持した連中を私はネット上最底辺の馬鹿と認定。いやはや。
あんな連中のとばすたわごとにさえ町山さんが傷つくのは真摯に「言葉」に向かい合うからだ。
自分の発信する「言葉」の重みをよく知っているからだ。「言葉」を大切にしているからだ。自分のも、他人のも。
頑張れ町山さん、あなたは間違っていなかったよ。