「似たものどうしさ「オレ」たちは、、」(古っ!)

とか言いながら下に書いた以上の事は書けないなあ、結局、「書いた」「いや、書かない」
「そう受け取れる」「それは違う」と言ったところで議論は不毛だ。
私の一昨日の内容はとあるブログの文章を「曲解」した人間がそのブログを攻撃する事も容認できるのか
と言う事で、はからずも下がそのいい見本になったのではないかと思う。くり返し書かせてもらうと
「大体ブログはドシロトが書く「日記」。文章力のなさで自分の言いたい事が全く違ったように伝わるかも
しれない、また読んでる方もほとんどが一般人、適格な理解力なんかどれくらいあるかわかったもんじゃない」
で、本人の意図しない事を相手が受け取ってしまっても、お互いその責任を匿名のブログ界でどの程度問えるのか、
と言う事だった。
私は生憎と「愛、蔵太」氏の文体は嫌いだがあの独特の「オレオレ」口調が人寄せの役割をしているのだと
理解する。また、私のブログのコンセプトも「黒いお笑い、ボケと突っ込み」でこれに反感を覚える人が
いるのも仕方がない、でも「読むのをやめたら?」としか腹が立つと言う相手にはいいようがない。
私の「ボケ」が「甘い」と言うのならそれは申し訳ないと思うがいちいちおふざけに引っ掛かってるんじゃあ、
ネットはやめた方がいいんじゃないかと思う。ただ「愛、蔵太」氏に関しては、私は氏がてっきり
世間に流布するいい加減な劣化ウラン情報に憤る一研究者かとお隣ブログですれ違った時、思っていた。
サラッと読んだ限り劣化ウランに関するその文章からは「啓蒙」と言うよりは読み手に対して
「嘲り」のニュアンスが強く感じられ、読む側を不快にさせる一種の傲慢さがあったように思う。
それでも身をけずって放射能に関わる研究者の発表だろうと思い、その読み手を見下すかのごとくの文章も
無理解な世間への怒りだろうと考えていた。「オレオレ」口調の行間から受け取れる情報はこの程度のものだ、
必死になって読んだりはしない、しかし、彼は研究者ではなく編集者、つまり情報を掻集めて
羅列してみせたに過ぎないと知ってあの文体で研究者達の真面目な成果を発表するのはあまりに失礼だろう
と私は感じた。
かなり長々書かれていたのを全て読んだわけではなく、口調を最近は変えられたかもしれない、
それにしても去年私が読んでいた頃は随分と「オレ様」口調だった。何にしても喧伝されるほど
劣化ウラン」の毒性は大した事はないらしいが、その情報が受け手にどのようなつかわれ方をしたか
劣化ウラン弾の被害に苦しむ人を紹介するところなどで内容の攻撃材料につかわれてはいなかったか。
それは「愛、蔵太」氏の責任ではない。しかし残念ながら私は「愛、蔵太」氏に嫌悪感を持つに至った。
毒性がさほどではないにしろやはり武器は武器、その性能を専門家以外がうんぬんするのはいかがなものか
と私は今も思っている。しかしそれは私の考え方だ、「蔵太」氏のものではない。
ネット界には私のように多少理解力に難のあるおばちゃんが存在し、また、そういう人間が
「市民活動家(!)」に見える哀れな世間知らずも存在する。(私が「市民活動家」では余りに本当の
「市民活動家」の皆様方が気の毒だ。)それでも匿名の世界ではまだ平等で、読み手も書き手も完全に
成長してはいない。そんな中でなぜ、「潰してもいいブログ」という「基準」を考えられるのか、
私はやはり疑問に思う。
ところで「愛、蔵太」氏以外のコメント欄御登場ののお二人、きみたちが「w」とやってみたところで私は全く不快
ではないよ、もう飽きた。別の事をやった方がいい。馬鹿を馬鹿にしてみせてもちっとも「賢く」は
見えないんだよ、むしろそんなお馬鹿な人間しか「愛、蔵太」氏側にはいないとなると
あまりに「蔵太」氏が気の毒だ。氏の名誉のために言えば彼が消えてほしいブログと想定したのは
こんなへき地のお笑いブログなんかじゃないよ、その程度の事も大好きなブログから読み取れなかったようだね、
「基地」にお帰り、「外」へ出てはいけないよ。それが一番「賢い」やり方だ。
不毛なすれ違いをどうやってもこれ以上は埋められないだろうと思う。
結局、文章力も理解力もお互い「似たものどうし」、「同病相憐れむ」にはならず、
「同族嫌悪」となるのが哀しいね。どうも「ギャグ」のキレがよくなかったようで、
「おあとがよろしいようで、、」とは言えないようだ。