どこかに行きたい、、

最近お気に入りの「kmizusawa」さんのところに妙な輩が出没して、人がほのぼの読んで楽しんでるとこの
コメント欄汚すんじゃ無いよってキイキイ、kmizusawaさんのところはコメント欄読まずに済ませられるように
なってるんだが、コメント欄に書き込む人もいい事書いてくれるのでつい読む。変なのは定期的にあらわれてるし、
kmizusawaさんはよく出来た方なので問題なく終わってしまうんだけど。
文章が上手いと変なのも結構来るもんだな、私も変なやつの一人ではあるが、
少なくともコメント欄は汚さんよ、トラックバックもせんし。
大体読んだ内容がちゃんと理解出来てるかどうかもあやしいと自分で思うからなあ、おばはんはダメよねえ、、
ところでkmizusawaさんのところでトラックバックした人の「コミュニケーションがどうしたこうした」とか
「難しいことはわからない」とかの話し、うーん、わたしも面倒だなと思うとすぐ「よくわからん」で
終わらせる人間なんで少しは反省するかな、でも、「オレの話を聞けエー」調ってダメなんだよね、
だから早く結論を出せよ、うだうだ言ってんじゃねえよ、とせかしてしまう、
私は言葉ってそれほど説得性のある手段ではない気がするんだよ、実生活で御大層な「論」を唱える人を
山のようにみてきたせいか、結局その人の周辺をみてしまう、子供がどんなふうに育ってるか、
配偶者がどんな人か、とか。
私の愛するディケンズカリカリの保守のイメージがあるんだが実は社会主義活動に熱心だった改革者の一人で、
でも女性の参政権とかには冷淡で、ていうか流行りの社会主義活動にすりよってくるとある女性に
「あなたのお針箱はかたずいてますか?」と言った話は有名だ。
自分の足下が固められて無い限り人は社会にあれこれ言えない、と言う考え方、
それが正しいかどうかは別にしても私は自分に関する限り自分がやるべき事が出来てるかどうかが一番気になる。
そして相手も。ネットの闇は便利だ、そういうものは全てチャラだからね、実名を公表してる人以外は。
「わからない」人は放っとけばいいよ、「わからない」まんまでいいと自分で決めたんだから、
それに干渉するのは野暮ってもの、わからない人は多分自分で努力しない限り一生わからんもんだよ、
他人がいくら言葉をつのっても。
ところでディケンズの私生活はどうだったかっていうとこれは涙涙のお話、、
決して私生活は幸福な人では無かったんだよ、名声は手に入れていたにせよ、ね。
ディケンズ君にお針箱は無かったってわけ、彼にとっては著作がお針箱と言えるかな?
それは最後までかなりちゃんとしてたと私は評価している。
それから「予定調和がどうしたこうした」、「コミュニケーション能力がなンたらかんたら」といって、
人のコメント欄で甘えてみせるのはもうすでに「コミュニケーション」以前の問題ですがな、
いい加減にしましょう。連休中はネットをやめてお外に行きましょう、馬鹿ものよ!
私も行きたいよ−ーー−!!