花見に行った。

昨日家族で花見に行って、ふと大学時代の金沢出身の友達が道明寺粉を使った上方風の桜餅を
「こんなもん、喰えねえや!」と罵倒して大喧嘩になったことを思い出す。京都人の友達は
「なんや、変なこというてはんでー」といつもながら薄ら笑いをして何も言わなかったが私と姫路出身の友達は
「関西には関西の喰いもんがあるンや!チャッチャと食べんかい!」となって、その時私は初めて薄皮(牛皮?)
で餡をくるんだものが関東方面で「桜餅」であると知った。
金沢の友達はブウブウ文句を言った私達にわざわざ金沢の有名どころの桜餅を取り寄せてくれてそれはたしかに
大層おいしかったし、また後にその友達は道明寺桜餅をあまり見かけないせいか何故かふと食べたくなると
言ったりして今ではお互い、いい思い出になっている。食べられないものと言えば実は
ミント味のチョコレートが長いこと苦手だった。リンツだったかアフター5チョコって薄いチョコレートで
ミントチョコの代名詞にもなってるもの、あれがどうにも食べられなくて何かで出されるといつも閉口した。
その他あまり日本じゃ見ないがチョコの中にミントクリームがしこんでるのとか、はずすことが多くて、
と言うかなんか歯磨き粉喰ってるみてえと思ってて、ある日、知り合いにそれを白状すると
ハーブ大好きなその人は絶対これは大丈夫、と知る人ぞ知るのミントクリームのチョコを買ってきてくれた。
新鮮な生のミントとリキュールを使った、作り立てのショコラティエのチョコは今まで喰ってたもんは
一体なんだったのかー?とカルチャーショックを受けたほどおいしくて以来何故か他のミントチョコも
食べられるようになっている。その後ミントソースを使ったビーフとかも好きになって嫌いだったものが
食べられるようになるのは自転車に乗れたりスキーが滑れる並みの喜びがあると今、思う。
だから偏食家には「これをどうしても食べて!」となったりして、かたくなな人にとっては
いい迷惑なんだろうなと我ながら空しさを覚えたりするものの、
結局、町山さんがやったことってそういうことなんじゃないかと思った。でもダメだったね、ちょっと哀しい。
南北戦争に南軍が勝っていたら、、」のエントリは面白かった。どこでも人間の考えることって同じだ。
金沢の友達は道明寺粉のあの舌を裏切るブツブツ感が許せんと主張し、いやそれがいいんだよ、
本当は何の粉かわかんないようなもんで餡をくるむなんざ野暮な連中のすることさ、と訳のわかってない
空しい戦いをしたり、まあいわばこし餡が好きかつぶ餡が好きかの違いなわけで私はどっちも好きで
食べられるんでよかったかな、と何種類もの桜が咲き誇るのをみて「桜」餡パン喰いてえと思った。
最近、実家の両親が「たねや」の桜餅ばかり買う。ちょっと前まで「とらや」の最中ばかりだった。
年寄りはなんであんなに同じものを食べきれないほど買うんだろう、もう飽きた。
今日の雨で花は終わるだろう、あんなに美しい花の下で思いついたことはこんなこと、
私はつくづく喰いもんに卑しい。