思う事、あれこれ。

西原理恵子の「営業ものがたり」を読んで「手塚治虫の「リボンの騎士」の帽子って
オードリーヘップバーンの「マイフェアレディ」の帽子のまねしだよね」とダーリンに聞くと
「そんな事は知らん」といわれる。くおらアア、何のためにオタクと結婚したと思うとんのじゃあ、
こういう時にちゃんとした答えを教えてもらうためやろうがあ、なんちゅう役に立たんオタクじゃあ、
数年前に買った手塚治虫のDVDボックス、何のためにあるんじゃあ、と怒る。役立たず!と追求すると
「いやあれはきっと手塚のオリジナルだ」なんて阿呆を抜かす。ほな、手塚はセシルビートン卿よりも
古い人なんか、ヘン、やっぱりお前は役立たずのヘたれのオタクじゃ、と決めつけ結婚した事を後悔する。
調べれば簡単にわかるんだろうが何の気無しの疑問を調べる手間を省くために旦那が存在すると
思ってたのにほんま裏切られた。ぶつぶつ。
昨日は野口先生の書評が朝日新聞にのってて満足。「国語教科書の思想」とかいう本。
私は扶桑社は歴史教科書より国語の教科書を作ってその姿勢を鮮明にすべきだといつも思ってて、
それは例えあの下らない教科書がいい加減な史観をそれらしく並べ立てても結局一番喜んで言葉を読む世代
(つまり小学校低学年)が国語の教科書で「ちいちゃんのかげおくり」だの「一つだけちょうだい」なんて
読んでしまってたらどうしたって戦争は嫌だって刷り込まれるわけでそういう悲惨な状況をつくり出した
人間達を「英霊」のどうのといったところでまともな子供ならまず疑問を抱くと思う。
(物凄く馬鹿はしらんが)
毎回「ちいちゃんは、、」なんて子供のたどたどしい声で音読するのを聞かされる
母親の身になってくれよ、光村書店!ついつい泣いちゃうじゃないか、
戦争はいやだって思うじゃないか、って、ああ、今日も子供の「一つだけちょうだいと、ねだるのでした」
を聞かねばならん、つらいー。中学生の娘はこのあいだまで米倉まさかねの
「大人になれなかった弟達へ」ってのをやってて、これも身悶えする程私的には辛かった。
米倉まさかねの「タケル」(漢字忘れた)って絵本を怖いもの見たさで好きだった私には
この「ホタルの墓」並みにきつい経験を文章にしたのを教科書で読む中学生はやはり戦争はいやだって
思うだろうなと考えている。頑張れ国語教科書!もっと戦争の「悲惨」を!
でも野口先生の今回の御本はそういうもんじゃないらしい。
私にとって印象に残ったのは野口先生の
「戦後の墨塗教科書の記憶が残っている。あれほど多くを教科書から学んだ事はなかった」
という結びの文章。今日の朝日の天声人語でも「墨で塗りつぶされた」という言葉がつかわれてて
奇妙に響いた。じいちゃんの戦地からの家族あての葉書もじいちゃんの名前と
宛先のばあちゃんの名前以外は全て墨で塗りつぶされていた。どこから何を書いたか全くわからない葉書、
じいちゃんの言葉を意地悪く塗りつぶしたその「手」が「生きて」戦後子供達の教科書を塗りつぶし、
自分達のした事を塗りつぶし、扶桑社の歴史教科書を書いた、とまではいわんが。
「墨塗り」という直接の行為に私は激しく嫌悪感を抱いている。多分、それを指示した人間よりも。
これを「自虐」というのかしらね、ネット右翼な方に答えを教えてほしいもんだわ、いかが。