ぶつぶつ、、、

一度読んだ本を再び読みなおしている。「春の雪」が映画化されたし、昨今の「ナンチャって右翼」のルーツを探る!
と称して禁断の「三島由紀夫」文学の世界へ再び、やらハテナのディケンズの紹介記事に腰を抜かしたので
いつかぐうの音もでないくらいきっちり書き直してくれる!と作品全部を引っ張り出している。
しかしこのディケンズ研究で返す返すも残念なのが資料を手許におこなかった事だ。コピーすらどこにあるかわからん、
実家改築の際、嫁にいったものに部屋は必要無し、と判断されて部屋に残ったもん全部処分された。
母ちゃんは「どこかにあるはず」と主張するがどこにあるかわからんもん、どこにもないのと同じじゃ!っつー事が
わからん年寄りは全くもー!!嫁に行ったりしょっちゅう引っ越したりしてるとこういう事になるわけさ、
大学の先生が「資料となる本はちゃんと買っとけ」というアドバイスを素直に受け入れてりャよかった、今頃、反省、
その頃はいつでも大学帰って資料室使うつもりだったしなあ、そういう暇が結婚したり子供作ったりしたら無くなるって
思いつかん私は若かった。それにしてもあの紹介記事は酷いなあ、誰が書いたんだろう、ああいうのは署名しといてほしいよな、
ハンドルネームでもいいから、何を根拠にアアもとんちんかんな事かいたかね、あれじゃディケンズが生前、
かなり若い頃から流行作家として活躍したことがわからない、「国民的大作家」とまでいわれた人なのに。
シェークスピアと並び称される「大文豪」だよ、アメリカはおろかロシアやら日本の文豪達にも愛読されたのに
「通俗作家」とはね、お前古すぎッ!といいたい。死後にはさんざん「リアリティーがない人物造型」なんて叩かれて、
結局ディケンズは厳密にいえば紳士階級とは言えない、大学教育を受けていない叩き上げの人物だった点や
その他いろいろな思惑からかなりその評価が不当に貶められたように思う。日本でも私が学生時代はディケンズなんて
という声が多くてこんな面白いのに、という私は物凄く変わり者扱いだった。大学でディケンズの卒論書いたの
ここ10年だれもいないっていわれたしな、でもこの何年かまたディケンズ再評価の向きがあってその事を指して
「死後評価が高まった」って言ってるのか?相当勉強不足だなあ、なんで書くかねえ、いやはや。
研究の傾向には流行り廃れがあるからここ10年ほど現役(?)を離れてる私がちゃんとした紹介を書くには
また最新の研究なんかを調べてみないといかんし本来は小池滋先生とかにお願いするべきと思うがそんな金はないか、
それにしたってなあ、、と新潮文庫中野好夫訳の「二都物語」を読み直すわたしはしみじみ思うのであった、、
ちくま文庫は偉いよっ!!