哀れなるもの。

かなり前に徳川慶喜の事を調べていて女性のわりにひどく片寄って女性を書く執筆者が実は何かの病気のせいで
結婚もできずその怨念を歴史の事を調べる事によって紛らわせたと近親者の後書きで知り、がっくりしたと書いた。
私が既婚者であるからこそ、結婚は本人の嗜好の問題であってしてないからといってそれほど気に病む事ではない、
と言えるがその年令から考えて結婚できないという事は一種のトラウマなんだろうと、理解した。
しかし、結婚しててもおかしな人っているからその著者に実はそれほど同情してない。
結婚してなくても同年代でもっとまともな事書けてる人はいるからな。
私がこの人に引っ掛かったのはとにかく京女が憎い、汚らしい、醜い、の一点張りで、その点東の女は特に武家の女は
無垢で聡明で美しいと、その根拠はどうも自分が東の女であるらしいんだが、そこまで極端だとこっちもむっとする。
彼女によれば、和宮様は産毛をそる習慣がなかったのと、入浴も稀であった、とのことで、この事を鬼の首でもとったように
口を極めて罵っていたが、ここで一つ西と東での私の考えを示しておこう。同じ日本でも私は東京方面に行く度
なんて乾いた町だろうと感じる。夏であれ、冬はよりいっそうそのからっ風というのか湿度の低さに呆れる。
そして西へとかえる度、飛行機の窓からの風景さえも潤んで見える。西の湿度の高さは格別だ。
それが良いか悪いかは別として、空気の粘度ともいうべきものが東側から見れば独特の文化をつちかってきた気がする。
産毛を剃る剃らないはどうも皇室独特の「忌む」という観念からきているものらしいから格別責めるに値する事とも
思わないし、入浴の習慣にいたっては「夏でさえ、入浴はまれ」と高らかに罵しられてもそれは明らかに風土の違いと
言い返す事が出来る。昔大阪は船場の生まれの私のばあちゃんは夏めったに入浴する事がなかった。
そのかわり一日6〜7回は「行水」と称して身体を拭い、着替える。下手に風呂にはいるとそのあとより汗が吹き出て
身体を動かす事さえままならなくなる。湿度のせいだろう、と私は思う。このじんねりとした密度の高い湿気が
火照った身体にいつまでもまといつき、汗をかく。だから夏はあえて風呂よりは何度となく着替え、身体を拭うのが
西の理にかなったやり方だと私は思うが、そればかりは住んでいて実際そういう年寄りを見て育たねばわからないだろうと
罵る側に同情する。また関東方面では暑い湯につかってその吹きすさぶような強い風に身体をさらせば爽快感が
得られる事だろうと私は想像する。実際、和宮様も江戸ではじき入浴を頻繁に行われるようになったらしい。
習慣をかえるという事の困難を克服された和宮様を私は時を超えてとても尊敬するし、この先どのようなかたちで
貶められようとも決して評価をかえる事はない。私自身いろんなところに行って住んでひどく苦労をした方だから、
あえて自分と違う風習や文化を持ったものを口を極めて罵る事はない。それは自分の無知をさらす事なのだ。
その事に気がつかずに相手を罵り倒す事だけに命を注いだ著者を哀れだと私は思うし、また今の世の中、ブログの中でさえ、
自分が「いかに正しいか」を他人のコメント欄を汚してまで示さねばならない子供達を情けなくも哀れだと思う。
自分が正しい事を違う意見を持った相手を攻撃する事でしか表せないのは
つまり自分は間違っているかもしれないという恐れの裏返しなんだよ。私が教えてあげられる事はそれだけだ。
気の毒だね。