お隣ブログをのぞいてみれば。

前回は被害者側をセカンドレイプなことを書いて悪かった。やはり騙す方が悪い。いけない。
何故心の黒い言うたもん勝ちの私が日光猿軍団の猿並みに「反省」のポーズを取るかと言うと
昨日たまたま人気ブログの一つと言う最右翼系阿呆の所をのぞいてしまったせいだ。
私は多分もう2度と行かんけどこういう一見賢そうな、でも司馬遼太郎を「ジャーナリスト」なんて
ほざくような突っ込みどころ満載なブログが人集めんだよなあ、私は自分を「ドクター」なんて呼ぶ人間の事は、
いい年して1人称に自分の名前を使う女並みに信用しませんが、世間的にはどうなの?
ドクター中松」はいい人らしいけどね。私のまわりにはいろんな種類のドクターいますが普段はそれを
極力隠すようにつとめている。面倒に巻き込まれんのいやだもんね。大体「ドクター」なんてもん、
それが一般的な世界の場合何の意味もないことみんなよく知ってるもんね、
「あんたもドクター、私もドクター、今さら何言ってんねん、」てな感じ。
というわけでほんまになんかのドクターなんだったら極力出身大学は同級生の方々の為にお隠しになられることですなあ。
ざっとたまたまヒットしたネタのとこを読んで私が読み取れたのは
「かつての太平洋戦争は国民の総意でなされたことであって、国民は完全なる被害者ではなかった」
ということで「かの司馬遼太郎も元々日本人はみな天皇を神だなどと思ってなかった」と根拠にしてあった。
(と、思う、一回しか読んでないからうろ覚えだが)。確かに司馬遼のいうことには一理ある。
私の明治生まれの婆様が「御真影やいうもんあったけどみんなそんなもん信用してなかった、陸軍の阿呆が
また何かいいだしよった、てあわせてただけや」て、いうてたし。ついでに、「うちの親戚はみんな
「ネーヴィー」ばっかりやった」と自慢して、「陸軍はビンボ人の阿呆が入るとこや」って、ばあちゃん、
そういうこと平気でいう人やったから今の私があるわけや、教育は大事よ。
それはさておき、まあこの「ドクター」が主張することを正論と受け入れるためにはあまりにもいろんなことに
目隠ししとかんとあかんことになる。例えば兵役拒否は簡単に出来たかとか、何で「非国民」なんて言葉が
公然とつかわれたかとか、何で小林多喜二特高になぶり殺されたのか、とか。その当時の日本が自由意志で
全てを選べたんだったらちょっと前までのイラクや今の北朝鮮にも自由はある。大体東条英機が悲劇の「政治家」
というんだったら当時のムッソリーニヒトラーだってそうだ。今のフセイン君なんて特に「悲劇」な政治家だ。
それなりに国民の支持は集めてたんだから。ただ、その支持の集め方がどうだったか。「武力」をちらつかせながら
自分達に従うように強要したんではないか、それで「選んだ」とはたして言えるか。
「国家」の「意志」に反する意見をもつものに対して恐るべき力が振るわれたことをしってたから
「陸軍は阿呆」とおもてる上方人でさえ「金と命は同じくらい大事」だし、取りあえずあわせざるをえなかったのだ。
これを「自由意志で戦争を選んだ日本国民」なんていわれた日にャア、私の御先祖様に申し訳がたたん。
一家眷属総力をあげて真向勝負、といきたいとこだが生憎、我が一族、金にならん無駄な労力は惜しむ方だ、
私が人知れずおちょくっとくだけでやめにしよう。
つまり私が昨日、気の毒な被害者に対してふともった感覚をこの右翼系ブログの中にも感じて
あーやはり阿呆なこというてしもたなあ、と思ってるわけだ。
詐欺を働く連中が悪いことが自明なように国民を戦争に駆り立てた政治家、軍隊、国家は悪いというのが常識ではないかな、
フセイン君だって何度かの交渉時に国を明け渡していればここまでイラクは傷ついた国にならなかったはずだから
フセイン君はイラクの国民の人たちに対して大いに非がある。ブッシュ君に対してはないだろうけどね。
結局、この世で最右翼と最左翼って昔の日航の鶴のマークみたいに丸くつながってんだよ、
ふとお隣ブログをのぞくとそんな感じを受けてしまったのでお隣が右翼なんて嫌なので昨日の事は悪かったと
ちゃんと言っときます。
私は鶴のマークの首の部分になりたい、でもあのくちばしマークってどっち向きだったっけ。右?左?どっち?