吾妻ひでお先生「失踪日記」など。

吾妻先生の「失踪日記」は結構な話題になってるようなのでもうちょっと。
何がいいって、全面を流れる静かな哀しみ、「叙情性」って言葉を久し振りに思い出した。
小林秀雄(だったか?)の「モーツアルト」の名文、「哀しみは疾走する、涙は追いつかない」(あー、うろおぼえ)
この感覚が可愛い女の子のちっとも出てこないコミカルな画面に息づいている。
寂しくて哀しくて堪らないのに誰も責める事のない吾妻先生の優しさ、豊かさがこの作品にある。
妙なエッチものを書くわりに昔からこの人を秘かに好きだったわけがわかった気がした。
ファンと言うわけではなく何となくあったら読む感じで絵も可愛いし、エッチもどこかいい感じ、
とおもってたのは多分吾妻先生のこの優しい人間性、というか羞恥心と言うものを
決して捨てきれずにいる素晴らしさにあったんだなあ、と涙。
「腐ったりんごは温かい」なんて場面では目が霞んだね、この鬼畜の私が。
世界の中心で愛を叫ばれようと、せせら笑いしか出てこない
(読んでもないけど)この私がこんなにほめる気になったのは初めてか?
大体一杯のかけ蕎麦だの何だのといかにも泣いてちゃぶ台、みたいなもんには
唾かけっぱなしの私が泣けたんだから、とにかくすごい。
この先、吾妻先生にはこの作品を最後に他は書かないででいてもらいたい、と思うくらいだ。
でも続きがちょっと読みたい。もっと書いてね、なんて言うとまた失踪するかしら。
このへんが難しいところだなあ。奥さん大変だなあ。
ところで先日安野モヨコの「監督不行届」を読んでがく然とする。
諸星大二郎って普通の人は知らないのか、、、そういや私もダーリンと結婚するまで知らんかったわ、
えー、私も「オタ嫁」なのかあっっっ!!!
物心つきはじめたころより変態に付きまとわれて生きてきた私だったが
やはり変態の亜流「オタク」と結婚してしまったのね、しくしく、、、
できる事ならヴィトゲンシュタインとか、賢そうな哲学の本を読むようなお方と結婚したかったのに
私の人生どこで間違った?それとも遺伝子レベルで間違うようにできてたんか?あああ、、、
まあ、よくよく考えてみればダーリンと結婚していなければ「失踪日記」も「監督不行届」も読んでないわな。とほほ。
幸せってなんだろう、とふと考える今日この頃であった、、