殺人事件にまつわるあれこれ。

ヤフーニュースでは「前日の岡山では大丈夫だった!」が上がって、

岡山県警は「ハコヅメ!」の本拠地であったな、を思い出すのと同時に、

お殿様に降嫁された皇族の一員が岡山駅周辺に住んでいるとかで、

要人警備には慣れているのかも、と思ったものの、

実際は、来ることが以前からアナウンスされて人が多く集まっていたので

やはり人垣が天然の盾になるのか、と結論を出している。

人ごみの中でごそごそ妙なものを出したら「なんか変なもん持ってる!」と

大騒ぎになってすぐSPに飛びつかれたことだろう。

奈良県警の本部長は涙目であったがこれで東京に帰るめどが断たれた、な、

どこかの誰かにボロカスに罵られたことだろうから泣きたくもなるだろう。

気の毒と思うものの、やはり人が少ないのに不用心だったのかも。

この件で印象に残ったのはずっと「心肺停止状態!」と

私の大嫌いな忖度言葉が用いられ続けたことで、

その上で奈良の救急医療の教授会見が非常に不適切であったこと、

私はリアルタイムで会見が始まるのをNHKで見て、

セッティングする途中のマスコミ関係者が、少し前まで元総理の延命に尽力した医師に

ぞんざいに「ちょっと待って」などと言ってるのを聞いて

なんとまあ、おごり高ぶった連中よと、

その上で質問は何度も同じ内容が繰り返され、このコロナ下で正直な話、

医師としてはとっくに無駄と知っていることを繰り返した挙句に

こんな性格と頭の悪いマスコミ関係者のあほな質問に答えなければいけない、

人生のどんな罰ゲームだよ、と

私はいつ、この実直そうな医師がマスコミのあまりのバカっぷりに切れるのか、

ハラハラしてしまったわ、もし、私の身内だったとしたら

「何度も何度も同じことを聞くな!聞きたいことはまとめて書面で出せ!」と

とっくに席を蹴って病棟に立ち去ったことだろうと

だから私の身内は教授に出世してないのね、、、と決して怒らなかった医師に

感心してしまったのでした。まあ、NHKでは途中で会見中継を打ち切ったが。

選挙の結果がどう出るかは未知数で、あいにく私は事件の前日に期日前投票

済ませていたので、この事件に影響されることはなかったものの、

かつて長らく国のトップを務めた人間に亡くなり方としては異例であるのを

残念に思う。守られるべきであった人が守られなかったは建前が崩れたことを示す、

奈良県警本部長が泣きたくなるのもわかるなあ、と思うのでした。

犯人に関して思うことは明日以降。実行犯に一片の同情心もないな。おわり。

 

令和、結婚式事情。

この度下の娘が結婚式を予定して、どこでやるかと言えば

私のころにはなぜか敬遠されていた「玉姫殿」的結婚式場。

バブルのころは猫も杓子も「ホテルウェディング」がはやっていたけどな。

なんとなく「レストランウエディング」とかやらないかな、なんて期待していたものの

万事において合理的な娘は「駅からも近いし、なんでもそこで全部済む」とのことで

あっさり結婚式場を決めてしまったわ、、「式に特にこだわりはない」そう。

先日その式場を予約して行った時、本人たち以上にスタッフがはりきって

「〇〇さん、〇〇さん、おめでとうぅー!!」だの「サープライズー!!」だのと

二人とも理系人で基本的にテンション低めなんで

「アッ、ハイ、」な反応しか出来ず、お互い気まずかったらしい。

スタッフも人を見るべきでは、、感が。

「式でぜひこれがしたい!とかないんだよね、

「何でも言ってください!」とキラキラした目で言われても、

何かすることあるっけって、世の中の人はそんなに結婚式が楽しみなものなの?」と

ママンは当時は珍しかった花嫁がケーキを作ってふるまう、をさせてもらった記憶が。

ちなみにアテクシの場合は、慣例として仲人が式場も日取りも決める簡単設計、

あれはあれで便利であったわ。今は仲人も立てないのでどんなかんじになるかね。

娘たちの話によると、新郎も新婦も仕事があるので利便性で言えば結婚式場専門店が

一番親切で簡単に済むんだそう。ここ数年、招かれた式はほとんどが結婚式場で

レストランやホテルはよほどの「ハイクラス」なご家庭でなければしていないとか。

上の娘は同じ結婚式場に3回行ったことがあるとか。

「わたし、そこのスタッフよりその式場事情に詳しいかも」、受付ばかりしたからね。

黒留袖はしんどそうであまり着たくないものの、

かといって何を着るかも考えてないので貸してくれるらしいので着るかね。

向こうのお母さまはお仕事をされてそれなりに社会的地位もあるお方なので

すべて合わせようかと、大事なご長男様を好きなようにしているうちの娘を

受け入れてくださっているようでおばはん、頭が上がらない。

平成に生まれ育ち令和を生きるうちの娘は「え、あたしなんかしたっけ」だしな。

ところで「黒留袖はやめにしましょうねー」と言いつつ〇〇のドレスとは、、

なかなかやる気満々なお母さまぶりに手がかかるのがよくわかって、

うぅ、こういう感じの方がお相手でなくてよかった、

ある種の世代の「専業主婦」にありがちな行動パターンに泣ける。

強烈なエピソードにこの夏初めてひんやりしたおばはんであった。

アドバイス、ありがとうございました。

コロナ・ライフ2022・夏

今年初めて赤しそのシロップを作ってみた。

こんなに簡単でうまうまなのになぜもっと早く作らなかったのかー!と後悔したが

よく考えてみれば赤しそジュースを生まれて初めて飲んだのが数年前、

九州でノンアルコール・アペリティフとして出てあまりのおいしさに感動した。

自分で作れるとは知らず、どこかのブログで「簡単!」と紹介され

やってみようかと思いついて数年、やっと今年レシピを探してやってみて

本当に簡単、凍結梅のシロップより手間いらず、上手に作れる。

赤しそって色が出ると緑に戻るのね、、と作っている途中発見して

この大量の出し殻は何かに使えるのか、また調べておこう。

私が利用したレシピは「カゴメ」のサイトにあるものでまずしその色を出して

後でリンゴ酢と砂糖を加える。酢を加えた瞬間に色が鮮やかになる。

味も良し。大満足で定番化決定。

実はずっと梅干をつけてみたいと思いつつ、アテクシが手間暇かけてつけるより

恐らく100倍はうまい梅がそちこちで売っているのになぜ、と思うし、

梅シロップをつけるのにわたしは2L3Lサイズの梅を選んで買っているものの

スーパーの梅は「種」も2L3Lでな、、(涙)

シロップなら種が大きくてもかまわないが、梅干しで種が大きいのは悲しい。

義母が昔つけていた時はわざわざ指定農園でよい梅を取り寄せていたそうだが

現在90代の義母曰く「取り寄せるなら出来上がったものの方が良い」そうで、

二の足を踏んでいる。

漬けている人曰く、「一度やり始めたら毎年せずにはいられなくなる」、

たしかにさほど好きでもない梅シロップを梅が出たら何となくつけたくなるしな。

手間暇がかかるといえば青梅のシロップ煮も大変らしいのでチャレンジならこちらか。

でも種が大きいとな、、、(エンドレス)

ところでアテクシが九州でアペリティフにのんだのは、

実は砂糖の入ってない赤しそジュースでこれは砂糖を入れずに酢を入れるだけで

出来るのか、調べてまた試す。青しそでもできるかな?

そして今年は美しい赤しそシロップと健康的に過ごす予定。

下のお嬢がサクサクと結婚式場を決めてきて今どきのカップルは

親を「招待客」と考えているよう、出来の良さに泣けるわ、、、(涙)

令和の親の在り方「金は出すが口は出さない」に徹する予定。おわり。

ミステリー感想 「黄昏に眠る秋」ヨハン・テオリン

中学時代から40年以上ミステリー作品を読んできて、

作品には「読むべき時」があると感じている。

クリスティやドイルのような古典作品は子供時代に読んでも理解できるが、

PDジェイムズの「女には向かない職業」を初めて私が読んだのは、

「もっとも可憐な女性探偵」として有名なこの作品のコーデリア・グレイの年齢より

さらに若かったので、展開の面白さはわかったが「大傑作!」とまでは思わなかった。

20年後、中年となって読み返した時、あまりの傑作ぶりにめまいを覚えるとは

年齢によって理解度がかわるものだといまだ驚いている。

若かりし頃は展開に驚いたが中年過ぎて読むと主人公のあまりの若さ、痛々しさに、

彼女の母親の年齢であり、女性としてか弱いその年代を抜けてきた経験から

事件の悲痛さが沁みる。

ミステリーという通俗生活小説は、読むべき「時」があるようだ。

「いつ」読むかによって味わいが変わってくる。

さて、「黄昏に眠る秋」

この作品は「エーランド島四部作」の第1作目で

現在の私はこれを読むにふさわしい年齢であった。傑作に大号泣。

幼い子供が大人たちがちょっと目を離したすきに霧の中に一人迷い出て消える。

どこを探しても見つからないまま、20年。

親に預けていた時に子供を失ったことで家族ともほぼ断絶状態になった母親は

荒んだ生活をしている。そこに老人施設で暮らす父親からいなくなった子供に関する

情報が入ったと連絡があり、しぶしぶ出かける。

面白いのが探偵役はこの子供を失って母親ではなくなった女かと思わせて

無力に見える施設住まいの父親である点で、シェーグレン症を患う老人で

頭脳も年齢に応じて決して明晰ではない、しかし年齢が培った我慢強さで

粘りながら真相へと向かう。「老い」のリアルさが今そのとば口に立つ私には沁みる。

唐突に母親ではなくなった、あまりに過酷な試練で干からびてしまった娘に

父親が示す最後の愛情は言葉に出来ない豊かさを感じさせる。

親の老い、死を見てきた私には「あってほしかったもの」としてほんのり苦い。

少々ネタバレするが、話は最初から「犯人」と目される島の鼻つまみ者、

ニルス・カントの過去の物語も並行して語られ、

事件が起こった、クリスティいわゆるところの「ゼロ時間」へと向かう。

主に二つの時間を行ったり来たりする「節」が非常に短い。

その短さが読みやすく引き込んでいく形になるのは

スティーグ・ラーソンの「ミレニアム」以来、北欧ミステリの定番なのか、

様々な時間の「章」がパズルのピースでやがてすべてがあらわになる手法は

ル・カレの「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」で既に用いられていたが

現在のものとはちょっと違う。

(ちなみに「ティンカー」を私は良い時期に読んでいるのでピースが理解できた)

「黄昏」に話を戻すと、「章」まで行かない短い「節」がどんどん短くなり

臨場感あふれる。その構成は作者がジャーナリストである故なのか。

この作品はスウェーデン第2の都市ヨーテボリで生まれ育ち

地元で長らくジャーナリストとして活躍しているヨハン・テオリンの初長編で

英国のCWA賞を受賞している。故にか、翻訳はスウェーデン版ではなく英訳版から。

作品中にちらりとかの地方の新聞記者が出て、エピローグにも現れる。

エピローグで語られる感傷は作者自身のものなのか、これもまた味わい深い。

小さな島で起きた時間を超えた何組もの痛切な親子の物語に感動を覚えるのは

幸いにも私が子供としても親としても経験がある人間であるからか。

星は金星5つプラス1。長い作品だが半世紀近く生きた人にはぜひ。

 

 

 

 

ミステリー雑記。

相変わらず「ミステリー世界紀行」は続いている。

ドイツミステリに絶望し、再び寒い国であるスウェーデンに帰って

ラーシュ・ケプレルの「砂男」を読んでみたものの「、、、、、、」

質の悪いアメリカドラマを読むかのごとくであった、、、、

ドラマと言えばミステリーチャンネルの一挙放送特集を見続けて

「人形は指をさす」で激怒したせいか、その次のお気楽ミステリ

「警部補アーノルド チェルシー捜査ファイル」には腹も立たず。

しかし今どきのドラマで「ポリティカルコレクトネス」満載の設定は

かえって不自然なような。まず、探偵役の警察官がなぜか「ディスクレシア」

やたらとスマホで写真を撮りまくって、なぜかといえば、

字ではなかなか認識できないよう。鑑識官は耳の不自由な俳優を使ったり、

探偵の相棒はインド系の若い女性刑事で産休復帰すぐだったりして

ここまで全方位に「配慮しましたー!」を押し出さなくてもな。

ミステリーよりそこが気になって印象に残らない。

次に放映された「アントワーヌとマリーヌ プロヴァンスの事件簿」に至っては

私は英国産だから英国人がプロヴァンスを旅行中に事件に巻き込まれるのかと思えば

英国人がおフランス人の「フリ」をするという、最近、何か間違ってませんか?

と聞きたくなる不可思議な設定。もちろん全部英語で話をする。

プロヴァンスの風光明媚な背景を前面に押し出して、ミステリーと言うより観光気分。

マイダーリンいわく「温泉芸者2時間ドラマ」、たしかに。

再び小説に戻って、ヨハン・テオリンの「エーランド島シリーズ」の最初の作品

「黄昏に眠る秋」を読んで、これが大当たり。感動の嵐。

これはエーランド島の四季を描いているそうで続く3作も読む予定。

それからドイツ語版から翻訳されているデンマークミステリ「特捜部Q」も

面白い。これはアマプラでドラマ化されたものがよくお勧めに出るので読んでみた。

良い意味でのアメリカドラマ的でエンタメ作品。

忘れないようにまた感想を書く。

ところでひょんなことでかつて「ミスター・ランスロット」と名乗っていたご仁が

別のIDではてなに存在し、かつてのIDネームを自身で晒しているのを発見し、

その上激しく女性憎悪をブコメで書きまくっているので驚いている。

この方、私に絡んできたときは確か既婚者であると書いていた気がするが、

こうも女性嫌悪が激しいのは離婚でもしたのか、

私とさほども変わらない年齢で異性への激しい憎悪は

いまだ性欲が満たされていない逆エロ親父ぶりで

妙に自身をアロガントな人間であるとひけらかすわりに

隠し切れない俗物ぶりを恥ずかしいと思わないらしい変わりなさに感心した。

元ミスター・ランスロット、現iteau君とは私と何でもめたか忘れたが

「こんな人でも結婚できてるのか!」は印象に残っている。

「あんた、奥さん、今どうしてんの?」とネット上のミステリーにも

つい考察を深めたい、ミステリー脳のおばはんであった。

まあ、お元気そうで何よりやね。おわり。

就活お手伝い阿保界隈。

はてなみたいなところで「GAFAな俺、あたしってすごいんです!」とやり始めた時に

かの会社には阿呆な金持ちご子弟が相当数放り込まれているのだな、と

見当がついたけれど、いよいよ「東大の理系が!」と言い出す

「何とか先生」なるものが出現するにあたって、まともな人材が少なくなったか、

深刻だね、外資系、としみじみしてしまった。

(しかしこの手の阿呆連は何故「先生!」だの「教科書!!」だのと言いたがるか、

隠しようのない頭の悪さのためなのか、謎。)

日本の理系では「ハード」(コンピューターの本体など)ではなく

「ソフト」に行く人間はほぼ「万死」に値する!の価値観があって

これが日本の堅実な製造業を支えているのだけれど、

一部、考え方の違う人間は必ずいるもので、手っ取り早く稼ぎたい、

正直な話、本物の「理系」でも何でもない「受験だけの勝者」が

大学での本物の学問についていけなくてこの手の「サービス」業に流れる。

別に優秀な人間が行くところではないから。「システム開発系」なんて。

特に「システムエンジニア」は文系の多い場所だからトップをとりやすい場所であり

良いか悪いかは別にしてそこに行く人間が特段「優秀!」と言うわけではない。

しかし、そんな風に「先生」を自称する人間が鐘を叩いてやらないといけない程度に

人材は深刻にイマイチなんだろう、日本の理系はやはり「モノ」を作りたいものね。

工学院卒の娘の同級生で旧帝大理系に行って心が折れて学部卒で金融職や情報系に

就職した子たちは全員が新卒で入社したところをやめている。

もう一度大学院に入りなおした人間もいればベンチャーに行ったり、

行方不明になったり、その手の分野に入った学生は「何かが違う」感を持つよう。

あきらめきれない何かを社会に出て初めて認識するのか、

がちがちの工学系の人間は永遠に過酷な研鑽を積むことを途中であきらめる連中を

「敗者」として扱う。いつか自分もそうなることを自覚しつつぎりぎりまで頑張る。

まるでアスリートの姿を見るよう。

日本の旧帝大理系に進んだ人間が「文転就職」をすることを例えるなら

プロ野球のかつて一瞬でも一軍入りした選手が

まだ若いうちに少年草野球に行くようなものか。

そこの指導者になるならまだしも、そこでプレーしてうまかったからと言ってな、

ってな「あほかいな」感をまともな人間なら持つんだけれども

はてな界隈では「GAFA行くような人間はすごいんです!」とまだやってる。

外資の人材不足に泣けるわ、、、

繰り返しただ「すごい!」「すごい!!」をするだけで人が集まると信じている。

外資マーケティングって阿呆がやる商売ではないかとかねがね感じていて

この度、何とか「先生」!!!なるものの発言がブコメを集めたのを見て

しみじみ、底辺職ってこういう連中のことだよな、と思ったのでした。

案外ネットにはまともな理系人っていないみたいだ。

考えてみれば私の娘たちもネットはしてないし、

かつての工学部生だった兄弟もネットはしていても本業関連のことは一切発信しない。

故にデマが出たい放題。

就活お手伝い阿呆界隈はツィッターはてなで管をまくしかない現実には涙。おわり。