雑談。

「震災」に関する漫画本をダーリンが買い集めていて、先日は「ネットで全部読んだ」という鈴木みその本を買ってきた。
私がパラぱらっと読んでいると「感想は?」と聞かれたので、
鈴木みそはいい歳をして自分を若く書きすぎ!「ゴー宣」のよしりん以上!!」「妻の年齢と体重を書くな!」と答えておいた。
「それだけかっ!」といわれるんだろうが、鈴木みその漫画を面白く読んだことがないからなあ、、
昨日も萩尾望都原発に関する漫画の本を買ってきていたし、有名なしりあがり寿の本やら、まったく聞いたことのない作家(?)のものやら、
かれこれ10冊以上あるんじゃないか?買って読むことに意味があるのかどうか、「お勉強だから」と下の娘にはあきらめ顔で諭されるけれど。
東京もずいぶんゆれて、でも実際に「もの」の流通が滞らなかったとしたら、ここまでいろんなことが大きくとりあげられたのかな?と思う。
「生活」に支障が出て初めて、不安が大きな「かたち」となった気がする。
店からさまざまな「もの」が一気に消えたことが「原発」への大きな反発となったんじゃないか、
そうでなければ「原発=危険」の声が今も続いているかどうか、早々に原発事故のことは取り上げられなくなったんじゃないか、
その方が「都合」がよかったものね、かつての世界では。
震災が起こる前まで、関西地方ではいやというほどくりかえし「原発は安全です」CMが流れていた。
「こんなにもクリーンエネルギー!」「COツーの排出はゼロ」なんて、聞く度「放射能はいいのか!」と突っ込みたくなったものの、
好感度の高い、たとえば「はなまるマーケット」の女優とかを使って「こんなに素晴らしい、これからの日本に必要」とやられると
「だって放射能が、、」なんてのは「被害妄想」と笑われそうで、しかも原子力のいわゆる「ゴミ」を「地下に埋めればこんなに素晴らしい!」と、
「未来の子どもたちのために!」なんて、去年の今日以来、あのCMを見ることはなくなったな、確かに震災は世界をかえた。
ただ、生活が安定したら、危険意識も薄らいでいく、「原発は必要か?」の問いかけも、どこまで正面から向かい合う人がいるか、
原発は「いつまで」必要か」という議論に変えていく方がたぶんもう少し「原発は危険だ」の意識は続くんじゃないかな。
すぐに全てをなくすことは無理だろう、無理をふまえて、無理をしないで出来ることを考えてみる、
「節電」で生活に支障が出ることで生まれる不満が今度は「原発反対」派に向かわなければいいなあ。
私は基本的には「反原発派」だろうけれど、あまりにも神経質に反発するのもイヤで、
でも、本当はよくわかっていないことを「むやみやたらに怖がるな!」といいたがる人たちも嫌いで
そういう自分の「感覚」を正しくないと知っていながら、その感覚を失いたくないとも思うのでした。
震災以後漫画を読んで特にどう、ということはなくて、好感を持って読めたのは福満しげゆきの「妻」本にかかれていることとか、
吉田戦車の育児漫画に書かれていたことだったな。ま、「生活」は大事、ということです、おしまい。