話題、色々。

福耳先生の一つのエントリに40以上のトラックバックがついていて驚いた、いやはや、これは大変そうだ。
内容はともかく、私が見たところでも取り上げていたように先生の「女子学生」への視線は仕方がないだろうが少々気になった。
女子学生が「かわいそう」で思考停止になるのは、そういうのを好む男性が多いからじゃないのかな、
実際、ブクマコメントに「そういう子が好きです」なんてのがあったしね。
そこで私も「思考停止」になるのはよくない気もするが、共学の大学でも未だにこういう感じか、と。
それからなんでここで「嫁姑問題」が出てくるんだ?先生が用いる比喩は私にはわかりづらい、
トリアージ」の言葉に反応されてるのもそういうことかな、先生、筆が滑りましたな。
今、私が気になっている話と言えばここと「とんでも科学批判、の批判」、
「バカを受け入れよ!」というのはものすごくよくわかった。だって、日常的に私がつきあっている人たちだし。
と言って、私はそういう人たちと違って自分はバカじゃない、とは思っていない、バカだからバカとつきあうんです、(私の場合は)
すみませんねえ、バカだって生きる権利はあるんです。
確かに私はまだ手ひどく「とんでも科学」に騙されたことはなくて、(「納豆菌で風呂場のカビを」には「僥倖」を期待したが)
それはなぜかというと私が根拠なく「宗教」嫌いのせいで、
「とんでも」にはまるのって「宗教」を盲信するのと同じ匂いがするんですな、だから駄目なだけ。
なとろむ先生のところでは「ホメオパシー」が取り上げられて、「出たー!」って感じ、いましたよ、PTAに信者が。(遠い目)
何でか「アロマテラピー」とぐちゃぐちゃになっていて、私が思うにこういうのにはまるのってダイエット法を次々試す人っぽい感覚、
「次はなんじゃい」と思うな、それほど悪い人でなければ私はほどほどにつきあいます。
私の場合、現実世界でも人の話をほとんどまともに聞いていないんで、作業中に横でぶつぶつ色々なことを話されていても
あんまりに気にならない。押しつけがましく言い始めたら満面の笑顔で否定するくらいの「知恵」は回るしね。
それにしてもなとろむ先生はかの「なんとかムサシ」といい、どこでああいう激烈に「痛い」人を見つけてくるのか、不思議だな。
私の「まじょりー」みたいなもんか、あれで何を書こうと思ったのか忘れてしまったよ、「思考停止」、「まじょりー」、おそるべし!
私の中でなぜか「ピラティス」と「ホメオパシー」と「リンパマッサージ」と「アロマテラピー」がごっちゃになってるので、謎。
とんでも科学は批判しなければいけません、これは「絶対」です、でもはまってしまう人を手ひどく糾弾するのはどうかな、
そもそもなんで「とんでも科学」が生まれるのか、それを求める人がいるからか、それともそこに「とんでも」があるからか、
鶏が先か、卵が先か、その辺がわからないなあ。
ところで、「とんでも科学批判、の批判」と「トリアージ」比喩問題の反応は似てるな、と思った。
私にとって、人の考え方を見る、「踏み絵」であったような、
ふーむ、一貫した考え方の人だなあ、と感心したり、あれ、この人ってこういう人か、と思ったり。
トリアージ」の言葉を簡単に用いて欲しくない、と訴えられた実際に「トリアージ」に関わった先生の言葉が何より重かった。
そこで「思考停止」になる私、だって「かわいそう」なんだもの、なんちゃって。
こういう大人にならないように、よく考えましょうね、、、
「まじょりー」を見て私が「思考停止」になるのは、「かわいそう」だからか?あれ?