あーほーくーさ!

ことば遊びにつきあうつもりは毛頭ないが、やはり「予定調和」的に「柳沢発言に反論するものは痛い」が
「通説」化したようだ。「失言を許さない社会」と言うタイトルのものを読んだがなるほど、
その「失言」「許さない」と言う「キーワード」を使えばそこそこ物事の「上澄み」をすくう事は出来ますわな。
(エエとこどり、と言い換えましょうかね。)
そういう「ことば」で人をけむにまく、その手法に悦に入る風な薄笑いが私には不快だ。
ごめんなさいね、一言で終わらせます。私はたまねぎに憧れるらっきょうと共感はしたくないんです。
ものを書く「ヒマ」があり「手間」さえかければどんな事でも「正当化」できるのは書いている人間は
よく知ってる事だと私は思いますが、ブログやってる人間でそれだけの「時間」が持てる人間って
少ないんじゃないですかね。頭の善し悪しだとか、そういうもんじゃないと思ってます。
私は今ほぼ「暴言」を書きましたがその前に「ごめんなさいね」と「柳沢」的にエクスキューズをつけてみました。
ものすごくわかりやすく(?)「例」をあげればこんな感じなんですよ、
ネットに出来上がった柳沢発言の「通説」ってね。TVのコメンテーターの頭の悪さとなんら変わる事がない、
したり顔で「これだから一般人は」「TVは」「議員は」って、同じだよ、君もね、
その意識がない「痛さ」にむしろ私は哀れを催す。あまりのくだらなさになんだか拍手、
どのように香ばしい実生活を送られている事やら。
まあいいんじゃないんですか?それぞれが自分の意見を「スタンダード」だと思っていれば。
「自分は違う、自分の意見こそが「善」である」と書いてそそのかす、人をそそのかせると思い込む、
私は人と共感したくて書いているわけではないんでそうした「スタイル」は理解が出来ない。
またそんな事すら読み取れずに私の書くものに「共感できない」とわざわざブックマークをする、
そのアホらしさに私はたまねぎ男のように「脱力」したのであった、、、
書いたものなんかどんなものであれ論破できない事はないんですよ、
私は自分の書いたものにさえいくらでも突っ込めるもの、それは私が書くものだからだ、
と言えるかもしれないけど、他人の書くものにだってみんなできるんで、だから人気のあるブログには
ワケのわからんコメントが集まって管理者が困り果てる、あーあ、もう何をやってるんだか。
私は自分が痛いって意識を持たずに書いている人のところを読まされるのがものすごく苦痛だ、
ゾンビに襲われる気分、いやはや。
ちょっと私生活が立て込んでいるんで、いつも以上にいいかげんになりましたがご了承ください。
更新も少々滞ります。
みんなわかってなおかつ「遊び」で書いているんだろうね、ばたばたしてその時間がとれそうになくなった
(一瞬なんですが)私の痛いグチです。