新聞読んで。

久々に文藝春秋の広告はぐっときた、こんなに腹立ったの久し振りだ、ネットのどんな嘘つきも
なんとも思わんようになってきたと言うのに、文藝春秋侮りがたし!「家畜」とはねえ、、
家畜人ヤプー」ってのを思い出した、人間を馬鹿にするにもほどがある。
文藝春秋を読んでいるわけではないのであんまり文句を言うのもよくないと思うが朝日新聞
でかでかと広告載せるんだから、これくらいの反発は当然だろう。文藝春秋が週刊誌(か?)でよかった、
もし毎日毎日このテの広告がのったら私は曾ばあちゃんの代からとってる朝日と付き合い止めるかも、
こんな、トンデモ言葉を作る輩の書くことが目に入るのは我慢できん。そういや、時々すれ違うブログに
「mumur」とか言うのがあるんだが、ここはいつ見ても何故か朝日新聞の悪口しか書いていない。
「嫌い嫌い」と言いながらこの人はもう朝日なしでは生きていけないくらい朝日新聞を愛しているようだ、
そうじゃなかったらああも根気よく朝日を読めるはずないもの、
もう朝日新聞を読むことだけでかろうじて自我を保ってるって感じ、新聞は毎日来るからよかったね。
(それにしてもこの「mumur」ってどう読むんだろう、私は諸星大二郎のマンガに出て来るキテレツな生き物、
「むるむる」ってのを思い出すんだけど)朝日新聞は随分変わった読者も持ってるんだなあ。
何かを悪者にしてこれさえなくなれば世界は平和人類皆兄弟、いじめもなくなってハッピーよ?ってなことを
最近よく読むが、もし教育基本法も改正されて、日教組もなくなって、ジェンダーフリーも廃絶されて、
核兵器も持てて、情報省も作られて、ってまるで「お花畑」のような夢の世界になっても、
多分いじめやその他諸々のトラブルはなくならない、その時は一体何を「悪者」に見なすんだろう、
「反省」を「自虐」と見なす人たちは常に何か敵を見つけなければいけない、
そういうものがいじめの原点じゃないかと私は思う。
今日は予告自殺の日らしく、さてこれが本当に切実な訴えだったのか或いは愉快犯なのかはっきりわかるだろうか。
愉快犯であれば、いじめられている子供達をこれほど愚弄するものはない、
「いじめ」を「遊び」に使っているのだから。
今朝の新聞に雨宮処凛が「いじめ自殺」について自分の経験を淡々と書いていた。とてもいい文章だった。
私はこの人の書くことは正しいと思う。「逃げるのは卑怯だ」なんて言う輩は相手にしなくていい、
「卑怯」なのはいじめをする連中で、また「一対一で立ち向かえ」なんて言葉で弱った心のものに
さらに「いじめ」をする連中のことなのだから。いじめ報道について言いたいことは山ほどあるが、
まあこのへんで。久々に島崎今日子さんのTV評があって、いつもながら辛口で面白かった。
(久々な気がするのは私の読み落しのせいか?)
「子育てしない女への無意識の反感」ってのは女よりも男の方に強い気がするなあ、
女でまともに一人で子育てやってたらやりたくない人の気持ちはしみじみわかるもの。
今日の新聞のこの二人のおかげで「家畜」を飼ってる「鬼畜」文藝春秋の広告のことはチャラにする。
やっぱり新聞は毎日きててよかった。