「春よ、遠き春よ、瞼閉じればそこに 愛をくれし君の懐かしき声がする」
と、昨日から気がつけばうたっている。
今年はいつまでも冬が続いて春がなかったような、
それなのにいつの間にかもう夏が来て、今は気持ちがまるで追いつかない。
華やかな存在が突然消えてこれほどまでに衝撃を受けるのは、たぶん年齢のせい。
年をとって悪いことでもあり、良いことでもあるのは、
もう自分が楽しいよりも、若い人が楽しそうにしているほうがうれしい。
だから私は「世界は欲しいモノにあふれている」で
いつも楽しそうにしている春馬君が大好きだった。
彼が微笑んでいるだけで、世界は素晴らしいと思えた。
「三浦春馬」の美しい名前に「死亡」なんて言葉はまるで似合わない。
今も何かの間違いのような気がする。
彼はその存在で多くの人を幸せにしてきたけれど、
彼はそれで何を与えられてきたのか。
物がなくなれば代わりを探すことは出来るけれど、人は違う。
替わる人はほかにいない。
何をどう書いてもどこか恨みがましくなるようで、悲しい。
艶やかな男性だった。
私の大好きなポール・スミスがいつもよく似合っていた。
彼は今年の来なかった春に閉じ込められたかのように感じる。
私よりももっと若い、娘世代のほうがより強く衝撃を受けている。
でも、今の若者はそれを隠す、何も言わない。
だから唐突に消え去ることを選ぶのかもしれない。
何重にも、ただ悲しい。