雑談。

週末、人と会って気がついたのは、なんだかんだで1ヶ月前よりは腰痛はマシになっていること。
治りが遅いのは明らかに加齢現象(涙)、おばはんは気がつくのも遅い。
2月は中学受験の時期だそうで、私は今まで知らなかったがお受験の結果は次の日くらいには出るものらしい。
今朝も増田に親の中学受験記録があったりして、やはり都内は地方の「普通」をお金で買うところなのだな、
妻の学歴がざっと読んだところではわからなかったので、それも知りたい気がする。なぜ妻は「絶対私立」なのか。
私は都心部でそこそこの生活をしている人間がどこで生活をしているかで学校選びがほぼ決まるような気がしている。
たとえば夫婦ともに地方出身で田園都市線沿いに住んでいるなら、やはり私立受験は必須ではないか、などと、
ずっとそこに住んでいる人間以外で荒れた公立中学に通うのは、大変だからなあ。
私の場合は、どれほど荒れた中学であっても私の「母校」なので、その「荒れ」具合がほぼわかる。地元の情報もそこそこ手に入るし。
故に、都心部の私立信仰はわからないでもないのだが、私は都心の公立高校受験記録も知りたいなあ。
日比谷とか新宿とか、かなりの激戦らしいので、そのうち増田でもやるかな?
どうも都心の公立高校は「内申点」が難しそうだ。あと、学区もあるかな?
「環境を買う」というのは「環境を買う選択肢がある」ということで、それが都会の豊かさではあると思う。
ただ「選択肢が多くある」からといってもおそらくは個人が選べる範囲は限られていて、それを見誤ってはならないんじゃないか。
見える格差と見えない格差、私は東京に行くたび、お金の使い方の難しさに思いをはせる。
選んでもかまわないからといって、本当に選んでいいものかどうか、その「空気嫁」感に私は地方以上の閉塞を見る。
これは雨宮まみさんが「東京を生きる」でちらりと触れていた「地元では買わないような洋服を東京では買う」の感覚から
考えさせられたことで、それを買った事で得る満足と失う何かを雨宮さんは上手にあらわしていた。早い死が惜しまれる人だ。
上の娘が東京に住んで、おそらくは東京で所帯を持つだろうから、やはり気になる。
困ったことに、本人が勉強ほど簡単なことはないと思っている人間なので、そこに行き着くまでの道筋がどういうものなのか、が
今はまだ見えていない。そのうちわかるようになるんだろうが。わかって欲しいわ、やはり道筋はあなたでも必要だったのよ、、
まあ、親をやるというのは大変、ということで(いまさら)
たぶん、中学受験で燃え尽きる子というのは、そこからの勉強の能力が足りなかった、
というか、そこからの親のサポートが受けられなかった、親はそこからまた「リセット」で始めるということを理解しておくべきかと
腰痛ババアは推察するのでした。終わり。