北原みのりさんのインタビューを読んで。

サイゾーウーマンの北原みのりさんの記事を読んだ。
ずいぶん「オバサン」を憎んでいるんだなあ。
「オバサンになること」=「現役をおりること」と北原さんはとらえているのだけれど、そもそも「現役」って、何?
なんか「現役」という言葉自体が「男に欲情される、セックスが出来る」事に価値観をおいているような、
それじゃあ「anan」のセックス特集を笑えないような、私にわからないのはこのかたはセックスの「行為」そのものが好きなのか、
それとも好きなひととするセックスが好きなのか、どうもすっきりしない。
「この国の女は東電OLになった」とは主語が大きすぎてピンとこない。そもそも、今の若い世代は「anan」なんか読まないしね。
「anan」は時々料理特集をするので、大学1年の娘に一人暮らしを始める前「こういう雑誌に料理の作り方が載るから買ってみたら?」と
本屋で薦めたら「えー、これって、オバサン向けの本でしょう?」とイヤな顔をされた。
「だって、向井(理)さんが変な恰好で表紙に載ってたりするんだよ、あんなの、フツーは買えないよ」
「あれを堂々と買えるのは、オバサン」と、ま、確かに。年頃のお嬢さんが買うのにはあまりにみもふたもない表紙ではあるよな。
ネットで「高齢者向けマンガ本」という言葉を読んだことがあるが、「anan」もすでにそういう存在になっているのかも。
「オバサン」を自称する私は自分を心の底では「おっさん」と思っているので「誰もが自分を本当にオバサンと思っていない」は本当かもしれないが
「現役を降りること」ってそんなに悪いことかね?
心の底から「現役」をおりて「やれやれ」と思っている女のことも、責めないで欲しいなあ。
「90になっても現役セックス!」って、それ、男がそういったら北原さんはどう思うのかな?
私は「老人施設でセクハラはやめてね、、」とひそかに思うけどね。
年をとることを「成熟」ととらえない考え方が「オバサンになったら死も同然」と考えさせるような、それがまたロリコン文化を産むんだよ、
男女、お互い支え合っているもんだね。
そういえば、夏に現在関東在住の娘(大学生)と大阪で買い物をしたとき、娘が「若い人のファッションは東京の方が垢抜けてるね、大阪は、どこか違う」
「でも、ママくらいの年代(40代半ば)の人は大阪の方がオシャレな気がする、東京は私が着るのと同じような服を着ている人をよく見るもの」
東京で歩くエリアと大阪で行くエリアの違いかもしれないが
「大阪の女の完成形は「オバサン」なんだよ、でもきっと東京は若いうちに女として完成してしまうんだよ」なんちゃって、適当に答えたら、妙に納得された。
上方文化エリアに住んでいると、それほど「オバサン」を否定的にとらえないんだよな、東と西とでは「オバサン」の定義が違う気がする。
「それは関西の方が保守的だから」ととらえられるんだろうが、ちょっと違うんだよなあ。
長くなるので、また今度。
北原さんは妙に韓流に感心しているが私は国産の男の子でとくに問題はないな、セックスの相手としては見ないけど。
新大久保でなくても、上方文化エリアのラーメン屋とかの兄ちゃんたちは案外オバサンにやさしいよ。
なんだかずいぶんかたよった狭いものの見方をしているんだなあ、とちょっとガッカリした記事でした。