教育現場は対立「劇場」か。

ちらっと読ませてもらったブログで何やら公立校の親に関するドキュメンタリー(?)が
話題になってるらしい事を知る。マスコミは、今度対立劇を「悪者=トンデモ親」に持っていくのか?
少し前までは「トンデモ」は先生だったんだけど。「トンデモ親VS可哀想な先生」を流行らせて
得になるのは一体誰なんだろう、少なくとも学校の主人公達である子供では決してない。
「対立劇」として面白がるのは学校とは何のかかわりもないモニターの前の人間達だ。
私は今までも学校の先生を攻撃対象と思った事はなく、生徒同様、またほとんどの保護者同様、
教育現場の「被害者」と思っている。現場の状況は対立劇が成り立つほど表面的なものなどではない。
もっと深く、入り組んだ事情が重なりあっている。誰かを糾弾して事がおさまるのなら問題などとは言えない。
もちろん、私はそのドキュメンタリーを見たわけではないのでどのようなつくりだったのか
はっきりとわからないけれど。
私が知る限り、先生と保護者の中に「トンデモ」がいる率は残念ながらほぼ同率だと言っていい。
どちら側からもがっかりさせられた事が転勤で色々園や学校を回った私にはある。例えば今、
中2の娘の理科の教科担任は全く授業をしてくれないそうだ。「あんた達が悪いから授業なんてやらない」
と宣言してさっさと職員室に帰ってしまうと言う。それを呼びにいくのは委員長であるうちの娘。
どう頼んでも全く教室に来ようとしない先生は間に立つ娘に自分のしている事を正当化しようと
子供の目の前で子供の愚痴を聞かせる。これを「トンデモ」教師と言わずになんと呼ぶだろう。
子供を「悪者」に見立てる教師を哀しみながら、また、教室の騒ぎ立てる、ごく1部に過ぎない生徒達にも
馬鹿にされる。娘には騒ぐ生徒を不愉快に思う先生の気持ちもわかるし、簡単に生徒を放り出す
教師の熱意のなさに実は傷ついている子供達の心もわかる。騒ぐ生徒を止められない大部分の生徒の沈黙も
娘の心をえぐる。でもどんなに騒がれてもとりあえず黙って授業を受けようとする娘のような存在のために
授業をして「くれる」教師もいるのを知っているから娘は学校を我慢している。
ほとんどの大人しい子供達がそうなのだ。どんなに邪魔されてもきっちり授業をする先生の授業は
だんだんと落ち着いて、騒ぐ連中は諦めて教室を出ていくらしい。その大人の努力を子供達はちゃんと見ている。
そんな子供達が一人もいなくなった時、また努力をしない教師が一人もいなくなった時、文字どおり
教育は崩壊するのだろう。でも私は自分の経験から考えて、そんな事が起こると思わない。
世の中は静かな良識派の方が多いのだ。ネット上ではどうか知らないが世間はネットで考えられているほど
馬鹿ではない。単に馬鹿は声がでかいから目立つだけだ、ネット上でも現実世界でも。
同じ状況下でどんな振る舞いをする大人が本当に大人と言えるのか子供は見ている。そこから子供は育っていく。
教育現場とはいくつもの視線が交錯するところに思う。そのまなざしに茶々を入れて欲しくはない。
いつの時代にもある事を時に切り方をかえるだけで傍観者の判断などあおいで欲しくない。
私の子供の頃の「対立」は「先生VS生徒」だった、猫までがガクラン着て「なめんなよ」と言ってたし。
実は教育現場の対立劇は「水戸黄門」的ロングセラーなのかもしれない。見る「だけ」の側にとっては。