雑記。

ノリピーの所属事務所は「解雇」も考えるとか。「家族ぐるみの事務所」なんて言葉のむなしさをしみじみと。
「家族」ならばこんな時こそ、支えなければいけないんじゃないか、、、と言っても、他のタレントのことを考えたらそうもいかんか。いやはや。
少し前のことになるけれど、「暴力夫に似てきた息子が憎い」との人力検索を読んで、
それでも、この人は子どもから離れようとしないんだなあ、と切なくなった。
育児疲れと、暴力からようやく逃れて、ほっとした反動が、奇妙な感情に走らせているんじゃないか、
「違う精神世界」ってどういう意味か、はっきりわからなかったが、「チャンネル」と書いてあるのを見て、そっち系か、と納得、
なんにしろ、どれほど追い詰められた精神状態にあるにせよ、子どもを何とかしなければいけない、と思っているのは事実。
親身になって答えている人もいてほっとした、面白半分にいじる人もいるけれど、ちゃんと答えようとする人もいる、それがネットのいいところだな。
先日読んだ、上野千鶴子さんと信田さよ子さんの対談にも「ドメスティック・バイオレンス」についてふれられていて、なるほど、と思ったのが、
暴力夫から離れられない理由が自身の「プライドのため」と言うくだり、
「私が悪いわけじゃないのに、なんで暴力を振るわれて、一方的に逃げなければいけないのか」と、
夫をバラバラにした渋谷の事件の妻もこれに当たるんじゃないか、など、
「被害者になりたくない!」「泣き寝入りしたくない!」の気持ちはわかる気がした。
しかし「暴力」というのは圧倒的で、どうにかこうにか出来るもんじゃないものね、それこそ、相手を「殺す」しか自分の「プライド」は守れないだろう。
「殺す」みたいな「危険」を侵す勇気が私にはないな、ひたすら「逃げる」、「プライド」を捨てて、って、
何かあったとき、プライドなんてさっさと捨てるにかぎる、と誰かに言ったとき、
それはあなたがとてつもなくプライドの高い人で、プライドすら自分でコントロールできるからだ、と言われたことがあるなあ。(誰にだっけ?)
自分が生きるか、死ぬかの時に、(もちろん、相手が生きるか死ぬかの時も)「プライド」なんてへったくれを言ってるヒマがあるか、
世の中には物事の優先順位を決めることが出来ない人がいる、と考えたり。
あの対談集を読んでいたときも「自分で決められない人」というのが面倒に巻き込まれがちかもと感じたり、
つか、子どもと夫、どちらが大切かの場面があったとして、悪いけど、私は子どもの方をとる、子どもとは血のつながりがあるものね、
旦那は所詮、赤の他人、その旦那が、私の子供に手をかけるなどをしたら、私は旦那は捨てて、子どもと家を出る、当然じゃん!と思うけど、
それが出来ない人もいるんだろうな、様々な要因が重なり合って、「逃げる」の選択肢が「ない」人もいる、それを忘れちゃいかんな。
本の中では実の父親が実の娘を性的対象にする、の話もあって、
これを「所有欲」や、「自分」と「家族」との境界がないせい、のような意見が出て、
私は、ふと、その夫は配偶者である妻を信用できていないんじゃないか、と考えた。
母親の場合、自分の産んだ子供は確実に自分と血のつながりがあるのを知っているが、(もちろん代理出産をのぞく)
父親の場合、「本当に俺の子か?」みたいな気持ちがあるんじゃないか、それから「妻」と「娘」の「区別」がつかない、
他人を信用できない男であるのと、他人と自分の区別がつかない人間であることと、そういうことが入り交じって、奇妙な行動に走らせる、
家庭の悲劇はこういうところから起こってくるか、そういうのは個人の努力でどうにか出来るわけではないからなあ。
とにかく「逃げる」をお勧めする、「逃げる」は決して「卑怯」ではないのよ、高い、高いプライドを持って「逃げる」ことを「選ぶ」、
人力検索の人はとりあえず「逃げる」ことが「出来た」人なんだから、大丈夫だと思いたい。
暴力からの「サバイバー」っていい方はなかなか面白い、そういうところからまた「プライド」なんて組み立てたらいいじゃん、
とお気楽な人間は考えるのだった。私は幸せな人間なんだなあ。
今日も夜遅くにお迎え、とほほ、、、