内田樹「知に働けば蔵が建つ」を読んだ。(その1)

とか、他、諸々読んでるんだけど全然感想文を書いてない。年内にあれこれなんとか!で、内田先生のこの御本、
有名なブログを書籍化している「だけ」と御本人もおっしゃっているとおりですが、大変面白かった。
特にいいな、と思ったのが「武道家から見る改憲論」と「勝者の非情、弱者の瀰漫」、おおっ、なるほど、ポン、
となった。「武道家改憲論」には「改憲論者は「普通の国」になりたい、と主張している」とあって、
あはは、たしかに「改憲論者」はいつでも「早く人間になりたーい!」と、お前らは「妖怪人間かーい!」
と突っ込みを入れたくなるような怨念をこめて「改憲!」と叫ぶんですもの、
なんか昔の「本当の自分探し」をしてる人間とかわんないよなー、って思ってた。
(でも「改憲論者」に限って「自分探し、なんてやってる若者はぬるい!」って
怒ってるんだよね、やっぱり似たものを嫌うんだな)
「日本は別に普通の国にならなくていい」うん、私もそう思う。日本人の「普通」の胡散臭さ、嫌いだし。
ネット上で「改憲」とか「中国の脅威」とか訴えてる人って、繰り返し自分達は「普通」だって書くんだよね、
あのね、ネットやってる人、特にブログで政治主張をする人に「普通」の人なんていませんよ、
頼まれてもいないのに「書く」って行為は既に「普通じゃない」って考えるのが「普通」じゃないですかね。
私も自分を「普通」とは思ってませんよ、「普通」の人間ってなんにもしないもんです、
それがいいのか悪いのかは別としてもね。それがわからないで自分が如何に「普通か」を宣言したところで
その「異常」さは際立つばかりです。ま、「個性」の主張、ですかね、それはそれで悪いもんじゃないですが。
でも「改憲論者」によれば「日教組」が「個性の主張ばかりを教育に押し付けてきた」そうで
御自分の特異な「個性」も憎んでいるではないかと、いやー、素晴らしい「自虐」「自己否定」。
無断で申し訳ないんだけど先生の最後のまとめを全文移させて頂く。
『「憲法自衛隊の整合性の必要」についてうるさく主張する人間の中に整合性を得る事が
「戦後60年間の日本の平和と繁栄」以上の何をもたらしたのかを「条件法過去形」で推測し、
これから先の日本にどのような素晴らしい事をもたらすのかを「未来形」で予言する作業に
知的資源を投資する気のある人はいない。
彼らはただ呪文のように「整合性がないのは、おかしい」というだけである。
その主張にどのような正当性があるのかを、聞く人に論証する気がないままに垂れ流されていることばは、
何を主張していようと、本質的には「呪文」である。私はそのようなことばに耳を貸す習慣はない。』
「普通」という「ことば」も彼らにとっての「呪文」かもしれないなあ。「胡散臭い」はずだ。
今日から12月、追い詰められた気分、、内田先生のもう一つの名文への感想はまた明日に続く。