「ヘニング・マンケル」を、読む。

1990年代の代表的北欧ミステリ、「ヴァランダー」シリーズ完読も、

もうすぐ発売される最後の作品を含めてあと2作となって、

ヴァランダー以外のヘニング・マンケルを読んでみている。

ミステリーではない「イタリアン・シューズ」からはじめて

「タンゴ・ステップ」、現在読んでいるのは「北京から来た男」。

「イタリアン・シューズ」はともかく

「タンゴ・ステップ」も「北京から来た男」も微妙にヴァランダーシリーズと

登場人物がかぶっていたりして、作者は「マンケルワールド」を意識したか、

ミステリシリーズはすべて「ヴァランダー・クロニクル」にしたかったのか、

欧米人は「何とか・サーガ」が好きなのかね?

それはともかく、私はヴァランダーシリーズより、スピンオフ(?)のほうが

小説としての出来が良いように思う。ヴァランダーシリーズより好みだ。

「タンゴ・ステップ」では、主人公が惨殺された元同僚の事件を追って

思いがけず自身の父をあらためて知ることになる、

いまだヨーロッパに根強くはびこる排斥主義を描いて興味深い。

「ナチズム」は想像以上にヨーロッパで支持されたことに今更驚く。

現在読んでいる「北京から来た男」に関しても人生で多くの時間を

出身地以外で過ごしたマンケルらしく、構想が壮大だ。

そしてマンケルは「等身大のろくでなし男」を描かせたら世界で右に出るものは

いないんじゃないか、と思われるほど、主人公がどうしようもない。

ヴァランダーシリーズも私がいまいちに思うのは主人公がどうしようもなく

クズ男であるからだったりする。まあ、「仕事ができる」クズ男、設定なんだが。

いや、出来てないだろ、そのミスは致命的だろ、のようなものを散々やらかして

「くぉら、ヴァランダー!」と読んでいて叫びたくなること、多々。

ヴァランダー以外の「イタリアン・シューズ」「タンゴ・ステップ」も

主人公含め、出てくる男ほぼ全員、ろくでもない。

今読んでいる「北京から来た男」は主人公が珍しく女性でまずまずではあるものの、

マンケル先生は他人の書き物、持ち物をこっそり覗き見る癖でもあったのかね?

とあきれるほど、なぜか主人公はやってはいけない「他人の物を勝手に見る」

「持って帰ってはいけないものを勝手に持ち帰る」をやらかして、

私のような貧しいアジア人が自身のプライドを守るために決してしてはいけないと

教えられ、また、生涯、ほぼやったことがないことを簡単にやるので衝撃を受ける。

私は他人の引き出しやカバンをあさったことは半世紀以上生きてもないぞ、

(そんな機会もなかったが)そもそも、思いつく?と引っかかってしまう。

それとも世間の人間は、私が思う以上に他人の物を見るのにためらいがないのか、

見せてくれる分には大喜びで拝見するが、わざわざ、やる?と、

マンケル先生が支持されるのはひょっとしてこういうことをやっちゃうのを

ちゃんと書くからなのか、世の中、やってるほうの人が多いのか、

とりあえず、不可思議な作家先生だとの感想を今のところ持っているのでした。

たくさん読んだので、これはシリーズとして順次書く予定。

今のところ「ろくでなし男を描かせたらぴか一作家」として私の中に保存。

おわり。