働くこと、動くこと、続けること、など。

「配属ガチャ」とは「ガチ成績順」に文句を言うやつ、であると先日書いたが、

年功序列がぁ」も、まともな会社では実力がほぼ互角な人間ばかりそろうので

違いは「年齢」と「経験」のみになるから年功序列は最も優れたシステムではないか。

言葉だけ、なんとなく正しいように見せて実は全然そんなことはない、

最近は公務員職の50過ぎのベテランを唐突に遠くに動かすこともあり

まだお子さんも独立していないことも多く、やめるわけにも、断ることもできず、

粛々と従うことになっているようだ。考えてみれば私の親世代は50前後で落ち着いて

そのまま定年を迎えているが私の同世代はそうではないらしい。

役職付きで動いてはいるものの、環境が変わるともろもろしんどいだろうと思うが、

案外本人は「気が変わってよい」とポジティブで優秀な人は発想が違ってたくましい。

結局、どこにいても上になればなるほど動き回ることになる。

上の娘が帰省した時、

「本物の「ザ・丸の内勤務」のほとんどが丸の内オフィスにはいない」

の話をして、丸の内に会社があるのはすぐにどこにでも行けるからで

どこにでも行く必要のある人間は常にどこかへ動いている。

丸の内でゆっくりしている暇はないらしい。

頻繁に動く人は羽田近くに住んでいたりして

もうオフィス環境は必要ないんじゃないか説が出るのは当然の流れ。

結局のところ、高給の良い仕事に就く、とは頻繁に動くことを受け入れ

どのような仕事でもこなす、柔軟性と体力が必要。

「工場勤務が嫌だ」「出向なんてありえない」などなど、文句を一言でも言った時点で

すでに自分たちは競争の列から外れていると認識するのが正しい在り方。

「仕事を続けられる努力をする」も優秀さの一部ではないか。

少なくとも3年は辞めるな、はよほどのブラック企業でない限り、

根拠のあるアドバイスで、新卒で入社した企業を

「早期内定!」「就活アドバイス!!」などとふかしまくっていた人間が

1年たたずになぜ「転職希望!」と高らかに挙げられるのか、不思議で仕方がない。

もっと不思議なのは同期で自分が希望している部署に行けた人間が

どういう人間たちか、全く言及がない。

「学部が私立で院だけ国立」という学歴がそこまで輝かしいのかどうか、

もし、他人に誇れる企業に入社できたとしたら、わかるはずだが、

わかっていないのがなんとも。

他人も見えていないが自分見見えてない人間ほど

なぜか「就活指導」をしたがっているのだよな、

これはネットの「アドバイザー!」なるもの全般に言えることだが。

しみじみ、この年になって仕事を続けてきた知り合いがいることに感謝する。

ネットでデマのごみばかり見ていると、いつか自分も浸食されそうになる。

その歯止めになる存在は貴重。

働き続けることの重要さを今頃あらためて。

おわり。