12月、

ざんす。
国技を「デブの喧嘩(by野田秀樹)」としか認識していないお下劣な私が何故、貴乃花にうんざりするのか考えてみた。
たぶん、どこかしら「我こそは正義!」と昂然としている点が鼻につくんだろう。
ネットではやたらと貴乃花への賞賛が見られるが、
私には「利権ずぶずぶ」の世界で思いっきり恵まれてきた存在が、
その「日本人のみ」に許されてきた「利権」の世界に
日本人でも耐え難い陸の孤島のような学校に未成年のときにやってきて努力してきた、
その辺の日本人じゃとてもじゃないがかなわない、叩き上げのモンゴルの猛者どもが頭角を現し始め、無視できない勢力になって、
今まで彼らを都合よく利用するだけだった人間の利権が脅かされるようになったが故に急に「正義」を振り回しはじめたような、
しかも「モンゴル人対モンゴル人」って、誰が書いたんだ、こんな筋書き?と思ってしまうな。
これはとても上手な他国人追い落としなんだよ、それを良しと見るかどうか、私はネットの正義の薄っぺらにぞっとする。
いやー、石原慎太郎の「正義」にでも「正義」と名がついたら、同調しますか、ほっほー、と言うのが、私の意見。
「それを誰が言うか」は結構大事よ、私は石原慎太郎貴乃花についた時点で、さ、撤収、と言う気がしたな。
かつての時津風部屋暴行死事件は「日本人対日本人」で、被害者が死ぬまでの暴行を数人が行っているのに対して、
今回の件はそこまででもない、被害者が次の日に興行が出来る程度だったというのが、
いかにも「格闘技のプロ」のやり方、と言う気がして、
喧嘩慣れしたヤンキー連中は、相手が死ぬほどはボコらないので、見事に人間の体のつくりを熟知している、
その点で、やはり「デブの喧嘩の場外乱闘」としかおばはんには見えないのでした。
基本的には内輪もめを「正義」の盾で自分の都合のいいように使う人間って、信用に値しますかね?
こういう人に利権を独占させたところで、自分の正義のためにはどこまでも都合の悪いことは隠しぬく、
純血主義の「ナチ」的存在ってこういうところからはじまって行く気がするな、
ユダヤ人を追い落とす姿はある意味「正義」だったよな、「国技からモンゴル人を追い出せ」も同じじゃないかな。
今回の件は「痛み分け」くらいにしておいたほうが無難な気がする。
いわば「角界サラブレッド」のような貴乃花と国を超えて死に物狂いの努力を重ねた白鳳のガチ対決は
基本的に、どちらにも勝ってほしくないし、一方的に負けて欲しくもないと思うのでした。
ひたすら気の毒なのが、おそらくはモンゴル人からも日本の相撲界からも「裏切り者」扱いされるだろう貴の岩なのでした。
貴乃花が彼を最後まで面倒を見るかどうか、そのあたりがどうにも信用できないんだよなあ、私は。
育ちが悪いのでな。おわり。