雑談。

裏切りのサーカス」のネット感想を拾い読んでいると○女子の方は、
ゲイに設定替えされたピーター・ギラムの別れのシーンに「キャー!」となるとのことで、
私はネットで前もって知らされていなかったら、多分あの一瞬のシーンは「なにがなんだか」なので、
これが感受性の違いというものか、私に○女子風味がさっぱり抜けているのは残念と言おうか、なんと言おうか。
先日も完結した「秘密」を読んで、あんまりだらだらグダグダ「愛」がどうのこうのの展開にキレてダーリンに愚痴ると
「でもネットではあれがいいとおっしゃる女子の方は多いようだよ」と、私は女子濃度の低い人間なのかも。
ピーター・ギラムの「女の子大好き」キャラが「別れに涙する優しいゲイ」に変更となったのは、
リッキー・ターの悲恋との対比のためか、と映画を見る前は推測していたんだけれど、これは単に製作者の「趣味」の問題のような。
ギラムが「ゲイ」でその恋人と別れて泣くシーンに必然性は感じられなかったのだよな、
しいて言えば、そのシーンの前に探索するメンツに締め上げられ「逮捕」も匂わされたために足を引っ張られそうな「関係」を清算する、
それは「異性」よりは「同性」であったほうがより説得力がある、ということか。
でも英国で同性愛が違法になったのはたしか1967年で作品世界は70年代なので逮捕とまではいかなかったような、
「公務員」としては致命的かもしれないけれど。なんか、あんまりよくわからんかった、あのシーンって必要?
これは日本の○女子の方々に向けて作られた作品なのか、
私が若かりし頃、「アナザー・カントリー」とか「モーリス」とか、「英国男子○モ」映画がはやって、
よくそちら系統のお好きなかたに連れられて見に行ったもので、そういう方々向けに作られたのかしら、コリン・ファースも出てるしな、みたいな、
そういえば当時「アナ・カン」と略された映画も基本は「スパイ」の生い立ちだったわ、
私は「学校で○モのお友達に振られたから二重スパイに走った?」と、それで「もう1回クリケットがしたい」と言われてもなあ、、
感受性の強いお友達は「アナ・カン」を何度見ても号泣、私は未だに何が良かったのか、さっぱり。
とにかく、己の感受性の低さを考えさせる設定替えだったわ。
ふと、電子書籍がメインになった時、原作「ティンカー」とセットにして売ればいいかも、と思う。
小説紹介のイメージフィルムとしての出来は最高、が「裏切りのサーカス」への最終評価かな。
この先、映像とともに小説は売るようになるかな?「シャーロック」が評判になった原作のホームズモノも売れているようだし。