いやはや。

朝日新聞の「母親が悪い」信仰がうざい」なんて書いていると、特集記事が。
「私 あなたの人形ですか お母さん キライ」と、ホンマもう、ドストレートなタイトルが香ばしい。
と言って、この記事は解説がちゃんとしているのでほめておこう。
フェミニストカウンセリング堺」の加藤伊都子さんは「全てを母親のせいにするような風潮には懐疑的だ」
「個人的な資質を責められては母親が生きづらくなるだけ。母娘関係が歪みを持つ背景に目を向けるべきだ」と、
「また、娘自身が「愛情あふれる理想的な母」神話に縛られているとも指摘」
あー、なんかやっとまともな意見を聞いた気がするな、
私が「母親「だけ」が悪い!」にうんざりするのは、こればかりくり返されると、女はよけいに子どもを産みにくくなることで、
つまり「理想的な母親でなければ母親になってはいけない」プレッシャーがきつくなってしまう。
はじめから「理想的な母にはなれませんが」と開き直ることが許されなくなるのでは、子供を持つ方が「マチガイ」となる。
「私こそが理想的な母親でございます!」なんてのばかりが子供を持つようになると、世界は生きにくくなるよー、
ま、そこには「母親が悪い」は「ありえない!」世界になるかもしれないけど。
ネットをするようになってつくづく呆れたことのひとつに、いい歳をした女がいつまでも「私は母親の犠牲者です!」をくり返していることで、
ひどいのになると半世紀生きていてもその「被害者」のままでいる自分に陶然としている、
「わたしの人生がままならないのは全てが母親のせいなのよね、、、」なんて50すぎの女につぶやかれた日にゃあ、私は「あんたはホンマにアホなんですなあ」とつぶやきたくなる。
今回の朝日新聞記事の20代そこそこのお嬢さんがつぶやいているぶんには「それは気の毒にね」とある程度は同情するんだが、
それを30,40,50過ぎてもやってるようじゃあ、「被害者でなくなる努力は何もしなかったの?」とたずねたくなる。
まあ、その手の人に言わせれば「幼児期のトラウマ」だの「母親からの刷り込み」だの、と要は「私がバカなのも母親のせい」なんだろうが、
じゃあ、早く死ねばよかったね、バカは死ななきゃ治らないものね、などと、
ゴメンナサイね、私はいい歳した女が、「私は母親の被害者」という「ライナスの毛布」にいつまでもくるまっているのを見守れるほど、やさしくはないの。
そういう女に限って「母親のせいで子どもをもてなかった」と言いがちだものね、、、もう母親に「勝つ」気がないのよ、
母親に虐げられた娘が唯一母親に「勝つ」方法は、自分が母親のような人間にならないように努力すること、
つまりは、母親のような母親にはならない、自分の子どもをちゃんと育てる。それが出来たとき、初めて母親から自立が出来るんで、
「母親のせいで子どもがもてない」では、いつまでも「母親の犠牲者」という自分のポジションに甘えているのでしかない。
母親からいつまでも離れられないのは、自身の中にある依存心と決別する勇気がもてないためなんだろう、
母親を憎み罵るのはある時期まではかまわないし必要なことだろうけれど、そこからいつか脱する努力をしなければいつまでも呪縛からは離れられない。
甘えた自分から目をそらすために「人生の全てがうまくいかないのは母親のせいだった」にしがみつく。
そのはてには、子供を持つ人間を攻撃するように必ずなるからなあ、、、これはネットを読んでいるとよく見られる光景だ。
「自分は被害者だから、正義の味方」と言うわけではないんだが。
「母親が悪い」問題には「ニワトリが先か、卵が先か」的な部分があって、そこに焦点をあてていかなければ「幸せな母親、幸せな子ども」は増えていかない。
「母親が悪い」だけを鬼の首でも取ったように掲げる人間をネットで山のように見てきたけれど、その発想の貧しさに私はいつもうんざりした。
どうしようもないナルシシズムを感じるのよね、、、「理想的に育てられていれば、私は完璧な人間だったはず!」って、
そもそも「こんな母親から生まれたからダメなんだ」としか考えられないようじゃ、どんな教育を施されたとしても、同じことでしょう。
「教育」に異常なまでの「理想」を夢見ているところも大いに問題、「教育」だけで、全てが解決すると思ったら、大まちがいなのよね、、
これは自分が子どもを育ててきてつくづくわかったこと。
ま、ネットの賢者は、こういう「母親・娘問題」に私が敏感なのは私が娘を虐待しているせいだろう、と、「いかにも」な穿った意見を言うんだろうが、
そういうありふれた発想にも私はうんざりするのよね、もし、私が「理想的な母親」に「見られたい」のなら、
「母親の犠牲者なんて、かわいそうに、母親である私には信じられない話だわ、、」と書くね、それをするのは簡単なこと、
でも私は簡単なことを簡単にやりたくはないんで。
それから、若い女性に子供を持つ勇気を持ち、子どもを精神的に楽に育てられる環境を作っていきたいので、あえて書く。
私がネットで日記を書き続け、時々子どもの状況を書くのもそういう理由だ。決して理想的な人間ではないけれど、わたしの子どもはちゃんと育っている。
時々でも私の日記を読むひとにそれを知って欲しいので。「こんなひとでも、子どもは結構ちゃんと育ってるじゃない」と思って欲しい。
子供を持つことは、人間が持つ権利の中でももっとも素晴らしいものだ。その権利を誰にでも、もてるようになって欲しい。
使い古したくだらないフレーズひとつで、当たり前のことが当たり前ではなくなっていく世界になって欲しくないので。