捨てるべきモノたち、、、、、(予約投稿)

と、3点リーダー以上を使って悲しみを表現してみる。

お洋服は使わなくてもどこかしら古びるもので、

昨年に続き、出ていく機会がなかったら、微妙に劣化してしまった服を

おばはんは泣く泣く処分に出そうとしている。

よく着ているうちに劣化しているのかどうかも分からなくなった服があって

この度しげしげと眺めると、自分の肉体も劣化しているので

劣化した服を着ると相乗効果で「、、、、、、、、」エンドレス。

ここで、割り切ってせめて古い人間は新しい服を!と思い切ればよいんだけど、

古い人間はぐずぐずするのよね。(涙)

さすがに夏の服は傷みが目立ったりして、気に入っていたのに、

今年風を通すことがなかったものは色あせて来年までは無理か、

と思い切ろうとしている。

還暦過ぎると物が捨てられなくなる、と聞くしな。

私はコートと下のワンピースがついになったスタイルが好きだが、

処分、待ったなし!のものの後継品が今年は見当たらなくて、涙。

出かけることもあんまりないし、なくても良いか。

最近、服は季節もボーダーレスになって、ミニマムにしようと思えば

出来るんじゃないか、気に入ったものをとことんきつくす、もありかも。

しかし、マテリアルババアにそんなことができるわけないと達観するのであった。

おわり。

さて、旅行。(予約投稿)

おばはんは娘たちの「ねんきゅうしょうかしょうれいび」というのに乗っかって

旅行に行ってくるざんす。

コロナは爆発するだろうけれど、本格的になる前に楽しいバカンス。

今年は毎日書く!に従って、数日予約投稿ざんす。これも、ざんす。

おほほ、人間、出かけなくっちゃ。動いてこそ、人間。おわり。

雑談。

現在話題になっている微妙な設定の「萌え絵」を

どこかの鄙びた温泉地で見かけた記憶があって、

「こんなド昭和なものが今でもなあ」と私は思ったが、

一緒にいた20代の娘が険しい顔をして

「気持ちが悪い」「こんなところ来たくない」と言ったのを思い出した。

私は昭和の人間なので「おっさんのドリーム、、」としげしげ眺めてしまって

娘がものすごくいやそうな顔をしたのでやめた。

この度、あれが最近に作られたものだと知り、驚いている。

考えてみればもし昭和に出来てたとしたら「劇画調」で「萌え絵」ではないわな。

昭和に生まれた私などは鈍感にできているので気持ち悪さを、

20代の娘ほど強く感じることがないものの、娘にとっては

自分が浴衣姿という薄着でうろうろする場に「アキハバラ」を感じさせるような看板は

不快感を覚えるのだろう。私が見たのは「プ〇キュア」っぽい感じではなかったしな。

平成生まれの若い女性は私のように「日活ロマンポルノ」のあからさまな立て看板が

幼児が3輪車で通りがかるところに置いてあった時代に育ったわけではないので、

性的なものを想起させるイメージにはかなり敏感だ。

男性しか行かないような温泉街であの手のが置かれるのは構わないが、

比較的健全な、若い女の子が母親と行くような温泉においてあるのは、

ちょっとどうかと、でも私たちが泊まったホテルでは

「なんとなく片付けそびれておいてます」の看板だったような、

あれを何らかの「お付き合い」で置かされているところでは

今回の件で「やれやれ引き上げられる」とほっとしていたりして。

ああいうのは少なくとも家族向けの温泉宿ではやめたほうが良い、が

私の考えであった。

平成の公教育を受けている私の娘は「ありえない!」と徹底拒否なんで、

将来家族で温泉に楽しく来てもらいたい希望があるのならば気を使った方が良いね。

もう少し若手の、平成生まれの女性の視点で考えられなかったか、

「こんなもんだろ」となかにいる人は思ってしまうものかね?

そういうのは結構怖いことだ。おわり。

「JTCとバックオフィスはくそ!」がはてなで人気が出る問題。

怪しげな連中が「無能なバックオフィスをなくしてやった!」ツィートを

「続きはノートを買って読んでね!」の広告として出していて、

「外銀番長(!)」とか赤面モノのタイトルの連中が繰り返すのが

「バックオフィスやってる連中なんかくそ」「JTCもくそ」だが、

多分、あんたたちがくそだから周囲のバックオフィスも関わる企業もくそなだけで

それを全体に広げて「くそ!」と言いたがる連中って

「俺馬鹿!」をネット全体に向かって叫んでいるのにしか見えない。

「仕事のできる俺がコンサルに入ったらバックオフィス全員始末してやれたぜ!」

ではなく、こんなやつをコンサルに雇う会社はもうだめなんじゃないかな。

事務系の仕事はどれほど馬鹿にしたところでなくなるわけではない。

その仕事は多岐にわたり、経営の根幹にまで踏み込む役割をになうので

「バックオフィス全員いなくなったぜ」というのは、

本来残しておくべき人間すらも残しておけなかった、

「コンサル、失敗」の話にしか見えないが、それがはてなではわからないものかね。

コネで断り切れずに雇ったやたら有能ぶったコンサルタントが去った後

「これもない」「あれもできなくなっている!」で大騒ぎになる会社の話を

ちらほら聞いたこともある。結局たたんだ会社もあったりして。

「JTC」「一般職」「バックオフィス」をそれとなくディスっているアカウントは

なぜか「〇応閥」なのも、私には解けざる謎として残っている。

ところで、この手の連中が「秘書職」を馬鹿にしているのも見かけたが

イマドキ大手企業で職名に「秘書」を使うところは限られている気がして

平成どころかいまだ意識が「昭和」なのに

自称「出来る!素敵!!コンサルタント」なのも摩訶不思議。

やたらと「慶〇卒」をにおわせるのも摩訶不思議。

社会に出たらさほどでもなかった大学のタイトルを恨んでいるのはわかるが

そろそろ大したことなかったタイトルに泥を塗るのはやめたらどうかと思う

おばはんであった。

「バックオフィス全員が辞めた」って

「結局バックオフィスなんていらない」ではないのだよね、

給料の割に不当に多くの業務を任せて「割に合わない」でまともな人材が去った、

それがわからない「ザ・コンサルタント!」笑える。おわり。

「自分はかわいそうなんです!」は慶〇閥の芸風か?

と、はてなの話題から一瞬で消えた文春の記事を見て考えたおばはん。

はてなの話題は数日同じエントリが棚晒される場合もあれば、

今回の「慶応閥犯罪」みたいに爆速で消えるのもある。

毎回ホットエントリするのに先週はなぜかブクマがつかなかった

「ねほぱほ」とか。次の新作でまたブクマがやまほどついたら大笑い。

文春記事に戻って、給付金詐欺をやった元キャリアが

「涙ながらに語った」とやや同情的な内容であるが、

慶応中高大に行かせてもらって習い覚えたのが

「同級生はびっくりするほど金持ちばかり!」とは、

本人の親も小さいとはいえ東京で不動産会社を経営しているのだから

貧乏ではあるまいに。「タワマンに住んでいた!」が話題であったが

案外、親の持ち物に住んでいるだけだったのかも。

ネット記事をつなげると「三越でパテックフィリップを買った」

ベントレーに乗っていた」、今回の文春記事ではほかの外車を所有とあるのも

半分くらいは不動産業者の親がかりではないのかな。

慶応中・高・大卒みずほ経由経産省元キャリアで高校時代から札びらきって

豪遊するので有名だった人間が「学校のせいで拝金主義でした!」と

泣いて見せても、一度逮捕されたくらいで「反省してまーす!」になるかどうか、

執行猶予になるだろうから終わればケロッとして

今度は捕まらない「ギリギリ詐欺ではない」商売に励むことだろう。

私は心からうんざりするのは、慶応大学の実質とはかけ離れた高偏差値を支える

「大学だけ慶応・東大落ち組」たちが、地道に作り上げる世間の高評価を

そんな彼らを「底辺塾員」とせせら笑う今回のような内部進学者が

見事なまでにぶっ壊してくれることで、

私はいっそ桜井眞被告こそ「無敵の人」と呼びたい。

それなりの家庭に生まれそれなりの教育を受けたにもかかわらず

「豊かさとは何か」を学んできていない。見てきたのは表層だけの豊かさ、

自分が千万単位で浪費しようが平気だが、

裁判でたった「200万」支払わされたことで同級生を動かすネタにする、

彼はいったいどの程度金を持てば満足ができたのか、

その見通しはさっぱりなかったように見える。

「受けてきた教育が悪いんです、僕はかわいそうなんです!」と

裁判では泣いて語ったところで、みずほや役所の面接をクリアしたのと同様、

裁判で同情を引く立ち回りのうまさを何と呼べばよいのやら。

ネットで学歴をひけらかす「慶応卒」の連中には入試の帰国子女枠を買うのに

親に千万単位でお金を使ってもらったにもかかわらず、

テレビに出て「わたしは虐待された!」とやるので

彼女の母が作ったガラスの骨壺だけは買っちゃいかんなと思っているが

これだけ子供の教育に金をかけてやられることがネットとテレビで公開罵倒では

自分は神様だと名乗ってもおかしくないと思ったりするな。

「俺、あたしはかわいそう!」は絶対正義と権力で「陸の王者」のおしるしか。

ところで「宗教法人」化していると不動産はかなり税金が免除されるので

そのアリバイ作りに「わたしって可哀そう!」とやってるのかと思ったりして。

広大な土地を所有するご一族が巨額の相続税を逃れるために

突然「神社」を建てたのを知っているんでな。

まことに金があるとは身も蓋もないことよ。おわり。

葬式雑記。

四十九日法要が終わって満中陰志も送りとりあえず一段落、、

と、言いたいところだが諸々の整理はこれからで、

実は昨年亡くなった実父の相続云々がまだ終わってない。

地元外在住者である長男が手掛けて一年、

「これは司法書士さんにお願いしよう!」がわかったそうで、

「自分でできる!」人はよほど法律関係に詳しい人ではないか、

書式は法務省かどこかにあるそうだが、やりかけて心が折れたらしい。

実家は妻と子供が三人、さほどの資産もないので相続税なんかかすりもしない。

私は異常な浪費家であった父親の借金がどこかから出てくるんじゃないかと

戦々恐々であったが10年以上アルコール依存でごたごただったので

さすがに借金を作る暇もなかった。本当に良かった。

今年はマイダーリンが初めから相談すべきところに行ってるので

税理士さんからもらってきたパンフレットに

「葬儀の費用は遺産から引ける、四十九日法要はダメ」とわざわざ明記しているのに

驚いた。あとでごたごたがあるのを回避するためなんだろう。

実家の葬儀諸々は私がどこでするかを決めたものの、ひと悶着あった。

実家の菩提寺は遠い遠い親戚(ほぼ他人)で実家から車で1時間ほど離れている。

拝みに来てもらうのはその寺でよいが、現在の住職が少々「生臭」で

商売上手と言おうか、最近はやりの「小さなお葬式」会社とかかわりがあるようで

秋とはいえまだ暑かった時期に死んだ父親の遺体を1時間余りかけて

自分のところに「わたし」が「手配」してもってこいという。

「小さなお葬式」会社なので移送手段はなかったようで、おばはん、そこでぶちぎれ。

夫を亡くして頼りない母は右往左往するばかりで私ははっきり「無理!」と

家の近くで病院からも近かった老舗葬儀屋に頼み、拝むのを住職にお願いした。

それだけでも戒名料だので葬儀屋に払った以上に払っているのに

いまだ生臭坊主は私に遺恨があるらしく、四十九日も1周忌もちくちく言う。

使わせたがった葬儀屋は「小さなお葬式」と銘打っているものの、

どうやら料金は「小さく」ないようでホンマにこの業界はどうかしている。

チェーンの参入もたいがいだが、個人運営の葬儀社もうしろ暗い。

生臭坊主が何を言おうが遺族は葬儀まで何回も行ったり来たりするのに

片道1時間かけていては今度はこちらの葬式が始まってしまう。

ただでさえ、親の死の間際に消耗させられているというのに。

生臭坊主のお小遣い稼ぎに協力するにはあまりにも場所が悪いんで、

我慢してもらうしかない。結果、帰省してくる兄弟には良かった。

私の判断は間違っていないので生臭坊主がありありと向けてくる

「嫁に行った身でありながら実家にでしゃばる娘」の視線を堂々と受け止めるわ。

葬儀にはこんな無駄な理不尽を飲み込まねばならない部分もあったりして。

ちなみにこの住職、アテクシより年下だけどな。

早くに先代が亡くなって今の住職の母親が相当なやりてでいろいろやってるらしい。

評判はいまいちだけど。

葬儀には水面下でこんな無駄な「戦い」もあるということをここに記録。

おわり。

 

日常。

四十九日法要は遺産から費用を賄ってはいけないって知らなかったわ。

考えてみればキリスト教に四十九日法要はないしな。

お嬢様方は法要で帰省の折、

見る目があるので二人ともアテクシのクレドポーの化粧品を持ち去りましたのよ、

「これは良い!頂戴」であげるアテクシもアテクシとは思うが、

それもちょっと嬉しかったりして。ないんでまた買わないと。

おねだりされたときに使いかけではなく新品をあげたいのでストックが欲しい、

でも何を欲しがるかわからないので結局無駄になるか、

そんなことをつい考える罰当たりな喪主の妻であった。おわり。